2013年10月17日

十三夜

人恋しと鳴けば、と歌に詠まれる神無月の十三夜。しかしながら今夜は雲が蔓延って、星見も月見もままならない。
何処となくセンチメンタル、な気分。

十三夜〜20131017
posted by 紫乃薇春 at 22:27 | Comment(0) | 星見日記

2013年09月19日

中秋

中秋〜20130919

夜半過ぎ、1時を少し回った頃ベランダに出て、夜風に当たりながら空を仰いだ。
向いの集合住宅に遮られ狭い我が家の西側の眺めだが、その僅かな隙間に丁度月が挟まりとても明るい。ほぼ満月に見えるくらい、実に丸い月である。
暦の上では明けて暮れた宵の頃満ちるそうだが、今年は中秋と満月が合致する、意外な様だが珍しい年らしい。次回は8年先―2021年になるとのこと。

ここ暫く、長崎県北ではまた晴天が続いている。先の連休は東日本を主に、九州でも東部では結構雨が降った様だが此方は晴天。ただ雲が幾分多めなことと、時折襲う突風が台風の影響を想わせた。
昨晩或いはその前の晩と大気がよく澄んで、明るい星の少ない秋の夜空だが多くの瞬きが見えた。しかしこの未明は月が余りに明るい所為で南西など殊に、フォーマルハウト以外の星は殆どかき消されてしまった様だ。

長崎では現在、新地を中心に中秋節の祭を開催中である。明日9月20日(金)まで。祭の開催時刻は17時から21時、ランタン点灯は17時から22時までとのこと。
中秋節とは中国の節句の一つだそうで、長崎では春のランタンフェスティバル同様提灯を沢山吊して中華街を飾る。但しランタンフェスティバルの赤(桃色)に対し、月を模してか提灯の色は黄色い。
一昨年だかその前だったか、中秋の祭を一度見物した。月餅を食べて祝うというので、中華街の或る店舗で何種類か買ってみた記憶がある。月餅は好きな菓子の一つだが、そこのものはどれもややパサついている風に感じられた。スーパーやコンビニ等で売っている量販メーカーの月餅の方が餡も生地もしっとりして、個人的には好みに思えた。
またこの時期に訪ねてみたいと思いつつ、昨年も今年も時間が空かずに諦めた。来年は長崎で名月を拝めるだろうか。

この週末土曜日は熊本でさがゆきと谷川賢作の演奏を、日曜日はハウステンボスで花火を観る予定である。久々のさがゆきは勿論、熊本は降立つのも初めてになるので楽しみだ。
花火は今年ハウステンボスで開催された世界花火師競技会の総決算の様な内容になるらしく、休憩を挿みおよそ2時間で約2万発の花火が上がるとのこと。今年は中止されてしまった東京の隅田川花火大会並の玉数は如何なものか、さぞ見ものであろうと思う。

満月〜20130919
posted by 紫乃薇春 at 23:11 | Comment(0) | 星見日記

2013年08月13日

ペルセウス座流星群 今年も…

三大流星群と呼ばれるペルセウス座流星群、ふたご座流星群、それからしぶんぎ座流星群。元より余り注目したことのないしぶんぎ座はともかく、冬場のふたご座流星群とは割と相性がよくほぼ毎年好条件にも恵まれて一定数の流星を観られるのだが、一方夏のペルセウス座流星群とは頗る相性が悪く、毎年期待はするものの天候に邪魔をされたりピークの予想時刻に外出不能であったりと諸々あって、記憶にある限り観られても1個、せいぜい2個の流星のみでまだ一度もまともに流星群と呼べる数の星を観ていない。
しかし今年は晴れ続き、日没後程なく沈む為月明かりもなく、また予想されるピークの時間帯も未明といささか遅めだが空いており、少なくともここ数年では無かったくらい条件が良い。これならさすがにそれなりの数の流星が観られるのではないか、やや不安はあるが楽しみにしていた。

ペルセウス座〜20130813

日付が変る少し前に自宅ベランダに出て、午前0時1分頃1個目の流星を観た。こと座のヴェガの下、ヘルクレス座の辺りだろうか。ベランダは西向きで、目の前には通りを挟んで自室より5階程も高いマンションが聳え立っている為視界が狭く、南西に向かって流れた星の行く末を見届けることが出来ず、空がやや白っぽく濁っているのも気にはなったが、予想ピークより3時間近くも前なのに今年は幸先が良いぞ、と思った。
しかしその後はさっぱりで、空は先刻より澄んできたもののピークとされた午前3時前後に数十分、二度に亘って夜空を仰いだが結局駄目で、その一度きりであった。そうこうするうち夜が白み始めて、今年のペルセウス座流星群観望も幕を閉じた。
滅多にない好条件と謳われた今期がこれではこの先、まともにこの流星群を堪能出来る年など来ないのではないか。例年以上に失意を覚えた夏であった。
posted by 紫乃薇春 at 20:13 | Comment(0) | 星見日記

2013年03月12日

星見日記〜3/12

声優の納谷悟朗氏が今月5日、慢性呼吸不全の為亡くなっていたそうだ。享年83。
ニュースでは『ルパン三世』の銭形警部役、或いは『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長役として紹介するものが多かったが、私にとってこの方は『リボンの騎士』のナイロン卿でありまたナレーターである。勿論他にも数多の役を演じ、重厚さと軽妙さを併せ持つ名優であった。
83と云えば立派な往生かも知れないが、喪失の想いは禁じ得ない。謹んで御冥福申し上げる。

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肉眼で見えると予測される箒星・パンスターズ彗星が現在接近中とのこと。地球から見て南側より太陽に接近し、太陽に最も近づく近日点通過は3月10日。今月の上旬からは北半球でも見え始めるというので、数日前から気にしつつ日没の空を眺めていた。
但し肉眼で観測可能なのは近日点通過の前後数日間らしく、その間は太陽に非常に近い為(例えば水星がそうである様に)実際に見えるのは日没後か或いは日の出前の僅かな時間のみ。彗星は見かけの面積が恒星や惑星等よりも大きい為、同じ等級の星に比べて暗くぼやけて見えるらしい。それ故予測される最大の0等級にまで増光したとしても、薄明の残る中では見つけるのが難しいだろう。といってすっかり暗くなるまで待っていたら彗星そのものが沈んでしまいそうだ。

10日は夜用事があったこともあり、まだ暗くなり切らぬ内に自宅近くの適当な場所から西方を見やったが、水平付近の視界は必ずしも良好とは云えず、また雲もやや多く到底見つけることは叶わなかった。
昨日は午後の早い時間に暇が取れたので、西海の南・外海の道の駅まで足を伸ばし、絶景と呼ばれる夕陽が丘の眺望を楽しみながら日没を待った。条件は恐らくこの日が一番良かっただろう。しかしやはり南から西にかかる低空には雲が横たわり、真暗になるまで粘ったが彗星を確認することは出来なかった。双眼鏡でもあれば微かにでも尾を引く姿をみられたのかも知れないが、今手元には良い大きさのものがない為横着をして持参せずにいた。
星見日記〜20130312
しかし外海の辺りは大気が比較的澄んでいるらしく、比較的高い空南中を過ぎたばかりの冬の星座と東の空を彩る春の星々が鮮やかに見えた。施設の照明を嫌い一際明るいオリオン座や冬の大三角形とその周囲の空しか撮らなかったが、今の季節を思えばむしろ獅子座や乙女座、上り始めたばかりの牛飼い座などにこそレンズを向けるべきだっただろうか。
今日は日没前に佐世保市の弓張岳に登ってみたが、お昼頃からは厚い雲がかかり彗星はおろか普段の星空観望すら出来ない天気になってしまった。西の水平付近は他と色が違い赤らんでいたが、雲が厚いか薄いかの差であり晴れている訳ではない。予報を見ると今後は悪化しこそすれ、天気が回復することはなさそうだ。山頂の砲台跡など見物してそれなりに楽しむことは出来たが、宵を待たずに早々と下山した。
星見日記〜20130312
明日、弓張岳でパンスターズ彗星の観測会が行われるとのこと。けれども予報は雨で、本当なら見えないどころか会そのものが中止になりそうだ。

今年はこのパンスターズ彗星の他にもう一つ、アイソン彗星(正しくはISON彗星)と呼ばれるやはり肉眼で観測可能と予測される彗星が秋から冬にかけて接近するとのこと。所謂肉眼彗星が年内に二つも到来するのは稀なことの様で、星好きな人々の間ではかなり話題になっている。こちらはパンスターズ彗星より更に明るく、予測通りならマイナス等級に達する可能性があるとのことで、天文ファンや学者達の間ではむしろこちらが本命だそうだ。但し彗星の実際の光度を当てるのは流星群の出現数予測よりも難しいらしく、パンスターズ彗星は現在まで予想程には増光していないしアイソン彗星も来てみなければわからないというのが実際の処。噂では近日点が余りにも太陽に近く、通過時に場合によっては核が蒸発、或いは崩壊する可能性もあるらしい。日本で観測が好適になるのは近日点通過後の12月頃とのことなので、消滅せずに通過してくれることを期待する。
その時期のアイソン彗星は蛇座の頭付近にいるらしく、見え始めるのは夜明け前の暫くの時間のみ。こちらもパンスターズ彗星同様決して条件が良いとは思えないが、肉眼彗星として名高いハレー彗星を遥かに凌駕する大きさと云われるだけに是非観てみたいものだ。

星見日記〜20130312
posted by 紫乃薇春 at 23:16 | Comment(0) | 星見日記

2013年02月03日

火球

先程―午前2時40分前後?―西向きのベランダに出てボンヤリしていたら、薄ら緑がかった特大の流星を見た。所謂「火球」というのだろう。双子座の少し東辺りから御者座の方へ流れて消えた。背後は部屋、頭上は庇なので何処から流れ始めたのかはわからない。気づいたら流れていた。

(Twitterより転載・一部変更)
posted by 紫乃薇春 at 03:59 | Comment(0) | 星見日記

2012年07月07日

七夕

梅雨も後半を迎えた7月上旬。長崎の空は日替り定食の様に移り気で、何を着て出るかが日々一番の悩みだ。先が読めず、予報もしばしば裏切られるので外出間際にならないと何も決まらない。晴れるか降るかせめてどちらかでいてくれたら、まだ頭痛も軽くなるというものだ。
七夕〜20120707
今の七夕は雨季にあり、毎年降るか曇るかだと幼少の頃から教えられて過ごした。実際子供の時分にはこの晩に星を見た記憶が殆どない。「子供は、早寝早起き」と云われて(事実はどうであれ)公然とは夜更しさせて貰えなかった為、天候以前に余り夜空そのものを見上げたことがなかったのかも知れない。が、その割には物心ついた頃から星が好きで興味を注いでいたので、七夕(とその時期)だけ夜空を見ずに過ごしたとも考え難い。いずれにしても幼少時の反動で、反抗期以降極端な夜行性になっていった気がする。
とにかく嘗ては滅多に晴れることのなかった七夕であるが、ここ10年、或いは20年程?様子が違ってきた。勿論梅雨末期の土砂降りに虐げられることも多々あるが、晴れる年、快晴には程遠いが雲の隙間から星の見える年も増えた様に思う。星を見た年の印象が強く、毎年記録をつけている訳ではないが、過去10年なら五分五分くらいで見えているのではないか。自然環境等の変化で気象にも歪みやズレが生じる様になって、七夕の天気にも影響が出ているのかも知れない。

昨日は降ったり止んだり、雨はさほど激しくならないが時折稲光の瞬く長崎県北。日付が変り7日を迎えても尚、霧の様な雨が降り続いていた。但し、鹿児島に着いてからは全く降らず、雲はやや多めだが青空が覗き、そして陽射しが強かった。気温も高く、日向は真夏日を超え猛暑日に近づいている様に感じた。
井上陽水を聴き終えた後、いささか強引だがその晩の内に帰宅した。実際は最寄まで列車が繋がらず、相方に途中まで迎えにきて貰う破目になった。
新鳥栖で列車を降りると、雨は止んでいるものの路面が黒光りし、処々に水溜りが出来ている。やはり北部ではつい先程まで降っていたのだ。九州とひと口に云っても、南と北では随分違う。
鳥栖から自宅までは車で3時間、夜半は概ね空いているのでスムーズだが、それでも2時間近くかかる。帰り道、また小雨が降出して遠くに雷鳴。閑散とした道が却って心許なく思えた。

が、夜が明けて昼過ぎに目覚めると、遮光カーテンの隙間から強い光が差込めた。カーテンを捲りベランダから外の様子を窺うと、斑に浮かぶ雲を従えながら濃い青空が広がっている。前日の鹿児島の空を思い出した。但し気温はさほど高くなく(陽射しは強いが)爽やかな風が吹き亘り、気の早い秋晴れを想わせた。前線は現在南に下っているらしく、本当の梅雨明けはまだ訪れていないが、向こう数日はこの好天が続くらしい。
数日置きに訪れる今年の梅雨の中休みだが、ここまで快適な空は珍しい。是非日中に出掛けてみたいと思いつつ、前日の強行軍が祟ったのか強い睡魔に襲われた。結局、夕方まで惰眠を貪る破目に陥った。

夜、星を見に出掛けた。
九州に移り住んで良かったと思える大きな理由のひとつは、見える星の数が都心や首都近郊より多いことだ。自宅付近は灯りが多く星見に適しているとは云えないが、それでも実家のある神奈川東部の郊外よりはよく見える。空気自体が澄んでいるのだろう。
何ヶ所か天の川が見えるくらい空の綺麗な場所があって、そのひとつは佐賀の有田と武雄の間の国道沿い。あと、大村湾を挟んだ東彼と西彼にもそれぞれ星数の多いスポットがある。今夜は西海橋を渡って西彼に繰出し、以前幾度か立寄ったことのある軽食屋の近くの道路脇に止まって空を仰いだ。
七夕〜20120707
雲が幾らか残るものの概ね晴れていて、ここ数年の七夕でも例のないくらい星がよく見えている。縁の深い夏の大三角は勿論のこと、蠍座や射手座、その足下の南の冠座、茫洋と広がる蛇使い座など夏の星々が鮮やかに形を成しているのがわかる。ただ残念なことに東の空には臥待の月が上り始めている為、天の川までは見えなかった。
七夕〜20120707
週前半はこのまま晴天が続き、後半から週末にかけて再び前線が北上するらしい。
この晴れ間が梅雨明け前の最後の中休みになるのだろうか。
posted by 紫乃薇春 at 23:22 | Comment(0) | 星見日記

2012年06月06日

金星日面通過

昨年からこちら、数ある天文現象の大半を天候不順により遮られてきた。今年は先月の金環日食がその一例であるし、つい二日程前の部分月食もまた然り。月食自体はさして珍しい現象ではなく、観るなら皆既食の方がダイナミックで見応えもあるのだが、今年は月食の外れ年だそうで一昨日見逃してしまったことにより年内は(少なくとも国内では)もう機会がないそうだ。
九州南部がその日梅雨入りし、北部も恐らく秒読みである。前々から聞いていた金星の太陽面通過(日面通過)も半ば諦めかけていた(実際関東をはじめ太平洋側及び北日本は悪天候に苛まれた様である)が、幸運にも今日は晴天に恵まれた。更に幸いなことに、予定された午前中から昼過ぎにかけては暇な身である。普段なら高鼾を掻きながら寝ている処であるが、近隣の人の好奇の眼を尻目に先月使った日食用眼鏡とカメラをぶら下げながら、時間を分けて二度三度と町内の公園に通った。

この金星日面通過という現象、日食や月食の様に一見して判る大掛かりな現象ではなく、流星群の様な華々しさもなく、ごく小さい黒子の様な金星が数時間かけて太陽のこちらをまったり横切ってゆくだけの、実の処地味と云えば地味な現象である。視力の良い人なら辛うじて肉眼で見える程度のもので(注※必ず日食グラス等、太陽からの有害光線を軽減出来る器具を着用のこと)、必ずしも見応えがあるとは云い難い。だが実は、毎年決まって訪れる幾つかの流星群や年に数回起こる月食、また数年に一度は地上の何処かで観られる日食などより遥かに珍しい現象だそうである。それは太陽の周りを周回する地球と金星の軌道面のずれに関係あるらしいのだが、前回の金星日面通過は2004年の6月8日。しかしながらその前の同現象は1882年12月6日。実に122年の隔たりがあり、20世紀には遂に一度も起こらなかった。そしてまた次回は105年後(2117年12月11日)であると聞けば、(それが譬え如何に見映えの冴えな
いものであっても)天文ファンなら是非押さえておきたい処である。天候が悪ければ止むを得ないと云いつつも、仲々割切れるものではない。梅雨の気配に怯えながら、執拗に気象予報を貪った甲斐はあった。
晴れてはいるが快晴ではなく、所々に雲が出ている。先月の日食の時程ではないが時折太陽に掛かる為、常時観望が可能という訳ではなかった。長崎北部における正確な日面通過の時刻がわからないが、東京での時刻を参考に載せておく:

第1接触:7時11分
第2接触:7時28分
最小角距離:10時30分
第3接触:13時30分
第4接触:13時47分

長崎北部では(先月の日食同様)数分の遅れがあるものと思われる。因みに第1接触とは金星が太陽の(見かけの)外周と接する瞬間、第2接触は外周にすっぽりと収まる(内周と接する)瞬間、最小角距離は金星が太陽の中心に最も近づく瞬間であり、第3接触は再び太陽の内周と接する瞬間、そして第4接触は金星が太陽から完全に逃れた瞬間である。第1接触或いは第4接触では金星は太陽面の外側にあり、通常肉眼では観ることが出来ない。第2接触もしくは第3接触の場合は太陽面の内側にあるものの、金星の見かけの大きさが太陽と比べて非常に小さい為実際には判別し難い。今回も拙い設備と技量で撮影を試みてみたが、金星と思しき黒い影はそのつもりで見ないとわからない程度の曖昧なものである。

写真1:
金星日面通過〜20120606
(東京における)第2接触からおよそ20分後の7時50分頃の様子。
金星は太陽面の左下方に位置している。

写真2:
金星日面通過〜20120606
11時30分頃の日面通過の様子。
金星は太陽面の上方やや左寄りに位置している。

写真3:
金星日面通過〜20120606
(東京における)第3接触の約10分前、13時20分頃の様子。
金星は太陽面の右下方に位置している。

写真2のみ墨を落とした様に著しく画質が劣っているが、この時間帯殊に雲が多く出て、軒並太陽面を横切った為である。
金星の日面通過は現在、6月もしくは12月にのみ起こるそうで、次回は2117年12月11日。そして普通は対で8年離れたほぼ同じ日に起きるらしい(今回は2004年6月8日と2012年6月6日)。それは地球と金星の公転周期に関係があるらしく、地球の8年が金星の13年とほぼ等しいことによるとのこと。但し、地球と金星の軌道面のずれの為、対にならず一回のみの日面通過も稀にある様だ。

因みに金星以外の内惑星・水星の日面通過という現象も当然の事ながらあり、こちらはより太陽に近く公転周期も短い為、金星よりも頻繁に観られる現象だそうだ(20世紀及び21世紀でそれぞれ14回)。しかし水星と金星の日面通過が同時に起こるケースは極めて稀らしく、最も近い例で69163年の7月26日とのこと。その次は更に遠く、224508年3月27日という。
天文学的とまでは行かないが、少なくとも今この地上に生きて生活している我々にはどうやら無縁のイベントの様である。
posted by 紫乃薇春 at 23:44 | Comment(0) | 星見日記

2012年05月21日

立夏を過ぎ、五月の半ばは概ね晴天に恵まれた長崎県北であるが、特別何をする間もないままに過ぎた。下旬になり多少は暇を弄べる気分になったが、梅雨前線が南から忍び寄り今後は不安定な日が増える見込みと告げられた。
随分前から話題に上った日食は今朝のこと。今回、首都圏では129年振りな金環日食と云われ、大いに期待する声も聞かれたが、直前の予報では関東・近畿や九州南部など金環食が観測可能なエリアは天候に難有りとされた。一方、最大時でも部分食にしかならない九州北部は曇りがちであるが、雲の隙間から望める可能性があるとのこと。だが昨日から此方も暗雲が垂込めて、今朝早くごみ出しのついでに外を見ると、路面が黒く濡れていた。夜の内に降ったのだろう。細かい雨は尚も残り、時折頬や手指を掠める。幾重の雲が覆っている様で、少し悲観的な気分になった。但し空の一部に青みが見え、弱々しいながらも東側に陽の気配を伝える明かりが差しているのを頼りに、朝靄の中を繰出した。

佐世保市と隣県の伊万里市との境に位置する国見峠を訪ねてみた。長崎県北は県境に烏帽子や国見などの山々が聳え、東の空は余り視界が開けない。国見のトンネルを抜けて伊万里の側に行けば、東側一帯を見渡せる高台の公園が設けられている。
蝕〜20120521
到着したのは朝の6時過ぎ。峠の駐車場には同じ目的の先行車両が数台、また後からも何台かの車が次々と訪れた。
長崎での食の開始は6時14分。その頃まだ太陽は雲の向こうに隠れていたが、腹拵えをしたりカメラや日食用眼鏡を準備する間に一点が俄かに明るさを増した。
完全に雲が切れることはなかったのだが、「既に欠け始めています」という写真付の県内の人の報告を読みながら眼鏡越しに望むと、向かって右側に欠けの生じた太陽が確かに見えた。
蝕〜20120521
だが、食の様子を拝むことが出来たのはそこまで。願わくばこのまま、薄い雲越しにでも良いから太陽が見え続けていてくれることを祈ったが、やがてより厚い雲が棚引き太陽を覆ってしまった。蝕の最大である7時23分(長崎市内での時刻、現地では7時24分頃)まで、雲の動きはあるものの遂に再び陽の光が差すことはなく過ぎた。
蝕〜20120521
結局その後も晴れることなく8時を迎え、もしまた覗いたとしても欠け始めに見えた分より食が大きいことはもうないだろう。そろそろ戻るかと思案する内に天候はむしろ悪化してゆく様だった。突然相方が声を上げたので振向くと、巨大な蜂―恐らくスズメバチの一種が少しの間扉を開けたままにしておいた車内に入り込んでいた。暫く様子を見ていたら程なく車外に飛び出ていったが、それが契機になり国見峠を下った。
市街地へと戻る車窓にパラパラと雨粒が当たり弾けた。その後、昼を過ぎるまで雨は徐々に本降りへと募った。

夕方、ビルの窓越しに景色を見ると、既に雨は上がり路面も渇きつつあった。
そして天邪鬼な夕焼けが仄かに空を染めていた。
posted by 紫乃薇春 at 21:02 | Comment(0) | 星見日記

2012年05月20日

日食覚書

明日(2012年5月21日(月))の日食についてのおおまかなデータ:長崎の場合

食の始め:6時14分39秒
食の最大:7時23分51秒
食の終り:8時43分40秒
最大食分:0.924

上記は長崎市内におけるデータの為、県北部の佐世保市付近では誤差があるだろう。時間はさほど違いがないだろうが、食の中心が遠い分、最大食分は少なくなってしまう筈。隣県佐賀の最大食分が0.919となっているが、こちらに近いと思われる。
いずれにしても長崎は県全域が金環食のエリアから外れている為、最大時でも部分食にしかならない。九州では鹿児島及び宮崎のほぼ全域、また熊本及び大分の一部地域でのみ金環食となる。
心配なのは明日の天気。長崎は曇りがちの空模様だそうだ。尤も全国的に余り好天は期待出来ないらしく、金環食のエリアとされる鹿児島・宮崎は雨の予報も出ている。部分食であっても雲の隙間から垣間見えるのが良いか、金環食を謳いながら雨に泣くのが良いか。
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2011年12月27日

星見日記〜12/27

年末の大きな催しも終り、年越しまで片手で足りる程に迫った。
ウェザーニューズから昨日お知らせが届き、今朝早く宇宙花火なる現象が観られるかも知れないとのこと。宇宙花火とは「宇宙航空研究開発機構(JAXA)などのチームが行った実験で、宇宙と大気の境界域(電離圏)での大気の動きを探るための実験で放出されたリチウムが太陽光を受け赤く光りながら球状に広がるために付けられた通称」(Wikipedia)だそうで、2007年の9月に第1回が行われ、今回が2度目の実験となる。
リチウムガス放出の為のロケットは鹿児島の肝属郡にあるJAXAから打上げられ、その為見える範囲はほぼ西日本に限られ、九州からは南東もしくは南の空に、四国及び中国地方では南空、近畿地方では南西の空に見えるらしい。但し上空100kmから300kmくらいの範囲での放出というが、実視高度はかなり低めと思われる為、西日本であっても太平洋側でないと必ずしも好適とは云えない。長崎県北は九州の中では現地から最も遠く、人工的ではあっても稀な現象なので楽しみではあるが、果たしてきちんと観られるものか甚だ疑問ではあった。
或る程度事前に知っていれば然るべき場所への移動も考えたが、数時間前に唐突に得た情報では動き難い。付近の山上―佐世保の弓張岳か県境の国見峠辺りまで行くことも思いはしたが面倒になり、自宅のマンションの階段から眺めるだけにした。

ロケットは午前5時47分打上予定、リチウムガスの放出はその約6分後とのこと。5時過ぎには防寒対策等身仕度を施して外に出てみた。クリスマスの両日には小雪が舞うなどこの数日はとにかく冷込みが厳しい。気づいたら足の親指の先に軽い霜焼けが出来ていて、幼少の頃は酷い霜焼け症だったことを思い出しながら、いつの間にか殆ど患うこともなくなっていたので久し振りに味わう不快感。だがそれで済めば良いので、年の瀬に大風邪でも引いたら厄介なことになる。
日付の変る頃と未明の3時くらいにベランダに出た時は空がかなり靄に覆われ、辛うじて1等星がぼんやり見える程度だった。そのままの空が続けば仮に観られる高さで放出があってもガスの淡い光は望めないだろうと思った。幸い空は澄み始め、星座の形を追える程には見える様になった。まだ12月だが、明け方間近ともなれば春の星星が顔を出す。いち早く上る獅子座は既に南中し、宇宙花火が見えるかも知れない南東の方角には土星と乙女座のスピカが双子の様に並んでいた。その東には牛飼座が横たわり、その下には小さいが際立つ弧を描く冠座の姿も見えた。牛飼座の1等星・アークトゥルスは春先の日没後にいち早く輝く為「麦刈り星」の異名を持つとも云われるが、個人的には嘗て鎌倉に棲んでいた頃初詣の寺社巡りで荏柄天神〜鎌倉宮と歩いて瑞泉寺まで行き、お参りして下山する時に向かいに見えるV字の稜線の一番谷底に顔を出す。それが丁度先行する獅子座と北斗七星を二頭の馬に見立て、手綱を握る要の様に見える。年明けの未明に春の上昇気流を想わせて、殊に印象深く見つめながら歩いた記憶がある。
しかし、自宅から南東方面を改めて望むと、遠くの丘が思いの外邪魔になる。おまけに何らかの施設の照明が眩しく、著しく視界を遮った。これでは余程高く打上げてくれなければ見えないだろうし、高く上がっても光が淡ければやはり掻消されてしまいそうだ。残念に思ったが、今更移動しても後の祭に違いない。

打上予定の5時47分を過ぎ、更にその6分後の53分を過ぎたが、宇宙花火と思しき光源は全く観られなかった。50分頃に一瞬、丘の縁が明るくなった様な気がしたが、もしそれが宇宙花火によるものだとすれば光源そのものは稜線の陰に隠れて結局見えないということだ。
もう暫く、6時過ぎるくらいまでは粘ろうと佇んでいたが、相方がTwitter等調べつつ、あれ?、と声を上げたのでどうした?と訊くと、「宇宙花火今朝は中止だって」と落胆した様に答えた。何?、と訊き返しながらふと視線を東に向けた。
何やら顕著な橙色の光がゆっくりと、牛飼座の下、冠座より更に地平に近いヘルクレス座の辺りを北から南へ動いてゆく。最初は低空を飛ぶ飛行機かと思い、次に誰かがこんな真冬の明け方に玩具花火でも放ったのかと疑った。だがそのいずれでもなく、それは火球だった。
火球、それは巨大な流星である。そういえば今朝はこの前にも二度程、やや明るめの流星を観ていた。双子座流星群のピークからは既に遠ざかっているが、まだ名残があるのか。それとも、来る年明けの四分儀座流星群の走りだろうか。火球といえば2001年の獅子座流星群で幾つか惚れ惚れする様な巨きさのものを見たが、今朝見えたものはその時のどれよりも大きく、正に特大の火球であった。
現地の天候が不良なのか結局中止が本決まりとなった宇宙花火などよりこの火球の方が余程衝撃的ではなかったかと思うのだが、咄嗟にそちらにレンズを向けようとしなかった自らの融通の無さを悔やんだ。

中止、というより延期となった宇宙花火、次回は年明けの1月8日以降の予定とのこと。
はっきりした日時がわかれば今度はより観易い南方まで予め出ておくことも検討したいが、人の都合で今朝の様に容易に変更あり得るものだけに余り積極的にはなれそうもない。

星見日記〜20111227壱

星見日記〜20111227弐

星見日記〜20111227参

写真1:夜景/中央やや上に土星と乙女座のスピカ
写真2:乙女座のスピカ(右)と土星(左)
写真3:牛飼座(上部)と冠座(中央やや左下部)・その付近
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2011年12月15日

双子座流星群

昨年は天候不順でまともに観られずじまいだった双子座流星群であるが、今年は幸い晴天に恵まれた。2年前長崎の地に来て最初のシーズンは、佐世保の弓張岳に上って観た記憶がある(但し同年及び翌年のしし座流星群も同岳の山上公園に赴いて観たので、その時の記憶と混同している惧れもある)。しかし今年はつい数日前に同所にて奇怪な出来事があり、直後には行くのが憚られた。とはいえ他に適所があるかと、少々頭を悩ませた。西海の各所や佐賀へ向かう途中の山間など車窓越しにも星のよく見える箇所が結構ありはするが、流星の光というのは淡くまた一瞬である。頻繁に自動車の通る場所は適さない。柚木の里美地区をはじめ各地に点在する蛍の名所なら恐らく車の通りもまばらだが、四方を山に囲まれ視界の狭い処が多くこれも流星を観るにはいささか不都合である。
あれこれ迷う内にふと思い当たったのが国見峠。佐世保市の柚木から佐賀の北西部へと抜ける山越の道である。峠付近の国見トンネルを潜った佐賀側には公園があり、展望台があった筈。車通りは思いの外多いが、展望台に上がればさほど邪魔にもならないだろう。おまけに東の空に見通しが利くので、上り始めた双子座を視野に含めつつ観望するにも良さそうであった。

国見道路は佐世保と伊万里を結ぶ道であるが、峠の一帯は佐賀県の有田町に属する。有田というと陶器市で名高い佐世保線沿線の有田駅、上有田駅周辺の印象が個人的には強いが、その町域は案外広い。尤も平成の施策で2006年に旧有田町と合併するまでこの辺りは西有田町だった様であるが、旧西有田町の域というのも思いの外広く、松浦鉄道伊万里〜有田間の現有田町に属する区間の大半は嘗ての西有田地区に当たる。昨年の4月に付近で土砂崩れがあり暫く通行止めとされていたが、今年の7月に漸く復旧した。
峠の公園は国見湖畔公園と呼ばれ、確かに水の畔にあるがとても湖と云える代物ではなく、所謂溜池である。だが傍の杉木立などと調和しささやかながら憩いの景観を形作っている。土砂災害の発生以前に一度、復旧後は幾度かこの道を通り公園の駐車場に停めたこともあるがいつも明るい内に訪ねて下の駐車場と傍の自販機等の施設を利用するのみで、夜間訪れるのは初めてである。高台になっている箇所は広く展望公園が築かれているのかと思ったらそうではなく、大半が駐車場で取囲む様に歩道が設けられ一隅に木造の小さな展望台が建っている。但し昨晩着いた時には先客は誰もおらず、駐車場の真中に佇んでいても咎める者はいなかった。
天候には恵まれたが当夜は双子座の割と近く、蟹座の辺りに月があり、流星を観るのに必ずしも好条件とは云えなかった。殊に東の開けた場所では夜の9時過ぎには双子座を追う様に月が顔を出す。従って日没後、双子座が上り始めてからそれまでの1、2時間程が観望の好機と思われた。
その時間に間に合う様行くつもりであったが、諸用に捕らわれて結局出足が遅くなってしまい、現地に着いたのは丁度21時頃。道路脇の駐車場に停めて東の空を窺うと、既に月は上り始めていた。だがまだ低空にあり赤く薄暗い。今ならまだ流星を観るのにさほど差障りないだろうと急いで準備をし、高台に上がるその途中で「あ」と小さな呻きを漏らす間もなく、オリオン座のすぐ脇を流星が一筋駆抜けていった。

月は見る間に高度を増して月らしい輝きを放ち出していた。高台から東の方角に幾本かの木立があり、その陰に月を留めることが出来たけれども束の間。しかしその後は何処からか棚引いてきた雲が月明りを遮り、おかげで暫くは好機が続いた。さして広い雲ではないので邪魔にもならず、夜空を観るのにいつもなら好ましからざる客であるがこの時ばかりは却って歓迎した。
それから23時近くまで滞在して、観られた流星は20から30程だろうか。同行した相方とはしばしば別の方角を向きながら観ており、相方が見えたと云って私が見逃した分も多々あり合わせれば40〜50くらいは流れていたと思う。途中月が高く上ってからは遮るものもなく路面にはっきり影の差す程明るかったので、暗めの流星は恐らく見えなかったであろうことを考えると、あながちピークを外してはいなかったに違いない。月の影響が少ない間に沢山の流星を観られたことは幸運だった。滞在中には幾組か同公園に立寄る客があり、その内の幾人かは同様に流星群が目当てであると見えた。
それにしても月明りというものはその他の天体を観望、或いは観測する上で想像以上の脅威である。現地到着時にはカシオペア座からペルセウス座付近に架かる天の川が薄らと見える程星が多かったが、時間の経過と共に見る見るその数を減らしていった。僅か数日前には主役であった筈の月が、観賞の対象が変った途端邪魔者と化してしまう晩でもあった。

懲りもせずまたカメラを持出し、天体写真の撮影を試みた。資金不足、勉強不足が相俟って専門的な器具は殆ど持合わせておらず、どんなに粘り頑張ってみたところで撮れる写真はお粗末でしかないのだが、そこは下手の横好きという表現を借りてお茶を濁したい。
1枚目は当夜の主役・双子座とその周辺を収めたものである。画面右側に一見流星の様な光筋が写っているが、これは偶々その方向を飛んでいた飛行機が紛れ込んでしまったものである。よく見れば一定感覚で赤いシグナルが写っているのがわかるだろう。
昨晩は航空機の数がやけに多く同様に飛行機を写し込んでしまった写真が他にも数枚あるが、しかし実は初めて、本当に流星を捉えることにも成功した。とはいえ写った光は本当に淡く、画像の明度をかなり上げないと判別出来ない程度のものであった。2枚目の写真がそれであり、画面中央よりやや右寄りに垂直から僅かに上部を右に傾けた格好で写っている。パソコンで見ればわかるが、携帯のディスプレイで閲覧の場合は見出せない程か細い。尚、画面左側にはペガススの四辺形が写っている。これでもなるべく見え易い様にと弄った挙句、かなり画質が粗くなってしまった。
天体イベントを求めて赴いた晩のことであるので星の写真ばかりを載せるつもりでいたが、月が高く上った所為で星が捉え難くなった反面周囲の様子が夜間と思えず見易くなった。おかげで湖畔公園の由来でもある溜池の水面が木立の陰から浮かび上がり、思わず写した写真が思いの外よく撮れた。最早何を目的で訪れたのか不明になりつつあるが、3枚目にはそれを載せてみた。

双子座流星群〜20111214-1215壱

双子座流星群〜20111214-1215弐

双子座流星群〜20111214-1215参
posted by 紫乃薇春 at 21:48 | Comment(0) | 星見日記

2011年12月11日

月蝕

昨夜から今朝未明にかけて、皆既月食が観測された。前回日本で起きた皆既月食は今年の6月16日でありおよそ半年振りで、決して長い間が空いたとは云えない。但し、6月の月食は月が欠けたまま沈んでゆく所謂月没帯食と呼ばれるもので、食の終りを日本からは見ることが出来なかった。今回は2000年の7月16日以来約11年振りの好条件に恵まれた皆既月食と事前に伝えられていた。
しかし、時間帯は好条件であろうと肝心なのは天気である。昨日、長崎県北はほぼ終日の曇り空。夕方からの晴れ間を期待していたが、予報ではむしろ遅い時間程下り坂であった。

2000年7月の月食は様々な条件が重なり、数ある月食の中でも最も長い皆既月食のひとつと云われた。その為世紀末とも相俟って各メディアも事前から盛んに取上げ、多くの人の関心を引いた。当日は好天に恵まれ、防寒対策を必要としない夏期の天体イベントということもあって、大勢の人が食を観る為空を見上げたと聞く。私もその日は朝からうきうきして、夕方前には外出し食の始まる直前の夜8時過ぎには当時棲んでいた神奈川県東の隣町の駅に降立ち、絶えず月の見える道を選んで遠回りしつつ、携帯用再生機器(当時はMD)で黒百合姉妹の「月の蝕」をエンドレスで聴きながら、食の終る翌17日の午前1時過ぎまで延々歩いた記憶がある。
当時は月や星を観るのは好きだがちゃんとしたカメラ等も持たず、いずれの夢ではあったが被写体にするなど到底覚束なかった。今世紀の初めに漸く携帯電話を手にして、その2台目にカメラ機能の付いた機種を持つ様になってから気軽に写真が撮れる様になり、やがてデジタルカメラを買い漸く星にもレンズを向ける様になった。以来月の写真も幾度となく撮ってきたが、今回はそうして初めての月食であり是非全過程を収めたい、あわよくば数百枚のスチールを並べて動画を仕立ててみたい、等と目論見を膨らませていた。
しかし先の通りの昨日の天気、夕方になり身仕度を始める時点で気分は相当落込んでいた。半影月食の始まりが20時31分、本影月食の開始が21時45分であるが、それより大分早い夕方の6時前には家を出た。

甚だ悲観的ではあったが、駐車場から顔を出し空を伺うと雲が切れ、鮮明ではないものの星が出ていた。これなら希望が持てるかと俄かに高揚して、天をよく捉えられそうな西海橋方面へ向かって車を走らせた。途中、半影食の開始までまだ2時間もある18時半頃には東の低空に丸い月がくっきりと浮かび、夜道を照らしていた。まず月が見えたことに安堵と感銘を覚えたが、不穏な黒雲が上空の風に圧されて急速に月へと向かっていた。
その後天気は豹変し、19時前には車のフロントグラスを雨粒が激しく叩いた。それでも暫く遠い空に月は見えたが、やがてそれも雨雲の向こうに閉め出されてしまった。
車窓を伝う滴を恨めしげに見ながら、月食の始まりにはまだ間があるので取敢えず腹拵えをすることにした。丁度夕飯時を迎え、空腹であることにやおら気づいて通りすがりの食堂に寄った。

小一時間程食事で過ごし、20時過ぎに店を出た。雨は小降りになっていたが、月は何処にあるのかわからない。
ひとまず西海橋付近まで行ってみたものの、雨が降ったり止んだりの天気が続きどうも芳しくない。西海でそのまま粘る選択肢もあったが、これは当分無理、と早めに割切り一旦帰宅することにした。
途中百貨店に寄り、切らしていた食材などを買ってから帰路に就いた。フロントグラスを打つ雨は強くなったり弱くなったりしていたが、家が近づいた頃ふっつりと止んだ。車を降り、立ち並ぶマンションの隙間から空を伺うと、暗雲がひしめき合いながらも処々に切れ間が見える。そして瞬時月が姿を覗かせた。既に夜の10時を回り、一端が欠け始めていた。取急ぎ買物袋を携えて家に戻り、改めてカメラを担ぎ近所の公園に繰出した。

雲の隙間はか細く、月は頼りなく見え隠れしていた。公園で空の開けた場所を見つけ、慌てて幾度かシャッターを切った。皆既を迎える23時間近で、月は早くも三日月程度にまで欠けていた。欠け始めから段階を追い捉えたかったが、この不安定な天候の下では如何ともし難い。だがとにかく、欠けた形の数枚だけは収めることが出来たので、最悪な晩にはならずに済んだ。

月蝕〜20111210-1211壱

月蝕〜20111210-1211弐

月蝕〜20111210-1211参

その後皆既の様子を捉えたく見守っていたが、23時05分を目前にして雲が扉を閉ざしてしまった。今回の皆既時間はおよそ53分。終了する23時58分までに一度でも赤銅色の月が収められればと待ち構えたが駄目だった。いや、実はほんの一瞬雲の薄くなった箇所が月を横切り、見えるには見えた。だが場所の見当を誤り、レンズを向け直す間にまた隠れてしまった。その後部分食のほぼ終る午前1時過ぎまで佇んでいたが、その晩は二度と月が姿を現すことはなかった。
しかしその一瞬に見た食の月は殊の外明るく、ダンジョンの尺度で云えば3(5段階の4)クラスに見えた。この明るさは月を遮る地球大気の塵の量によるらしく、あれだけ明るく見えたということは、今の地球の大気が思いの外澄んでいるということだろうか。
我が国で次に見られる月食は来年の6月4日、再来年は無くその次は2014年の4月15日だが、これらはいずれも部分月食である。皆既月食を観るには更にその先、2014年の10月8日まで待たねばならない。

話は変るが今月の天体イベントとしてもうひとつ、双子座流星群が現在その時期を迎えている。ピークは今月14日の夜から15日未明と云われているが、週間予報を見ればまた曇りである。
過去には何度も活発な活動に遭遇し個人的に相性の良い流星群であるが、昨年は遂に満足に観られず終った。今年は如何な塩梅だろうか。
posted by 紫乃薇春 at 21:03 | Comment(0) | 星見日記

2011年09月12日

中秋節

中秋節〜20110912壱
長崎新地では本日まで、中秋節の祭が開催された。
中秋節とは中国や韓国、台湾などで旧暦8月の十五夜の晩を楽しむ、日本でいう処のお月見だそうだが、7年程前から長崎でも中華街を中心に催される様になったらしい。旧暦の正月を祝うランタンフェスティバルは毎年お馴染みのイベントだが、中秋節が近年になり開催されるに至ったのは何故か背景を考えてしまう。しかし物見高い性格なので、週末を利用して昨日見物に出掛けた。

地域の放送局で数日前に中秋節を紹介しているのを観てランタンフェスティバルくらいの華やかさを想像していたが、遥かに規模は控え目なものだった。ランタンフェスティバルでは中心となり様々な飾り付けが施される湊公園にはランタンが幾つか吊された鉄骨が壇上にありテント小屋が並んでいたが、至って地味に見えた。
中華街には多くのランタンが吊され、四方の門には祭壇が置かれ豚の頭、海老、鳥、さざえなど、また冬瓜、南瓜、栗、白菜、林檎や柑橘類など様々な野菜や果物が供えられていた。そして北門を抜けた処に架かる橋上には、ランタンフェスティバルの際湊公園に飾られた干支の兎のランタンが据えられていた。
ランタンフェスティバルでは赤もしくは橙色だったランタンが中秋節では黄色いランタンに変っていたが、お月見になぞらえてだろうか。尤も月の色が黄色いか否かは別の話だ。

祭の始まりは夕方の5時からというので一旦中華街を出て、近くの唐人町界隈を訪ねた。本当に歩いてすぐだが、これまで殆ど訪れたことがなかった。福建会館や観音堂、天后堂、土神堂などひっそりとしていたが、歳月を経た煉瓦の色が渋い味わいを湛えていた。
だが何より街角至る処で出くわす猫が堪らない。猫好きにとっては飽きない街だ。そういえば通りすがりに猫の写真を募集する広告が貼ってあったが、ここに限らず長崎は猫の多い土地として密かに知られている。

5時を大分過ぎてから中華街に戻ると、さっきまで殆ど準備中だった飲食店がこぞって暖簾を出していた。あちらこちらに空席待ちの列も出来始めている。何処で食べるか悩みながら雑貨屋を覗いていると、彼方から囃子の声と爆竹の破裂する音がする。慌てて通りに顔を出すと、獅子舞の群れが北門から南門に向かって行進している。南門を抜けると湊公園があり、これから本番が始まるのだろう。
結局中華街では食べる処が決まらず(肉をふんだんに使う中華料理は実の処口に出来るメニューが余りに限られていることもあるが)中華街の傍にあるきしめんと饂飩の店に入り、五島饂飩のメニューを頼んだ。
中秋節〜20110912弐
帰りがけ再び中華街に寄り、お月見に因んで月餅を土産に買った。中国では中秋節の折、月餅を食べながら月を眺める習慣があるという。月餅は子供の頃からよく食べていたお菓子だが、そうした由来があるとはつい最近まで知らなかった。そもそも元は中華菓子であることを知らず、普通の和菓子だと長いこと思っていた。
店頭には「中秋月餅」と書かれた饅頭も売られていたが、四角くて大きい上に、やけに高い。折角なのでそちらを―とも思ったがイメージが湧かず、結局普通の丸い月餅を買った。

さて、中秋の名月は今日の夕である。満月丁度の時刻は18時27分頃と聞いた。時刻ぴたりに月を眺めてみたいと思ったが、その頃は佐世保の市街地に居た。東の空には雲が低く棚引き、それでなくても市の東部には烏帽子岳という小高い山があり隠れて見えなかった。
中秋節〜20110912参
それから小一時間程して漸く月が上ったが、雲が仲々途切れず隙間から覗く明かりを時折拝む程度。今年は6年振りに満月の中秋となる為もっと良い空の下で眺めたかったが、やや残念な想いだ。
posted by 紫乃薇春 at 23:45 | Comment(0) | 星見日記

2011年07月07日

七夕の夜

七月に入って早や一週間。先月下旬南九州における異例の早い梅雨明けに北部の此方もやや浮き足立ったものだが、その後も前線は北上せずむしろ明けた筈の南部にまで押し下げられて、却ってその所為で清々しさ漂う梅雨の中休みまで味わうことになった。晴れ間は束の間で、再び此方に戻った前線の為この一日二日は断続的な豪雨に見舞われ、殊に昨夜から今朝にかけて長崎県内では各地で大雨また洪水の警報、そして頻繁に土砂災害警戒情報が舞込み、実際あちこちで崖崩れ等被害が発生したというニュースを聞いた。
雨のピークは夜のうちで、今朝はほぼ小止み。まだ時折路面を湿らす程度の降りはあったが、昼前にはすっかり止んだ。午後からは徐々に回復するだろうと予報は伝えていた。曇りがちだが雲の隙間から星の覗くこともあるだろうというので七夕の星々が拝めることを願ったが、梅雨末期の空に過大な期待は禁物だ。

本日七月七日の午後八時から十時まで、全国の企業、施設、家庭において一斉消灯の実施(七夕ライトダウン)という記事を何処かのニュースで読んだ。これは環境省による節電キャンペーンの一環であり、強制力を持つものではない。今の政府とその在り方に甚だ疑問を抱く者としては素直に準じる気持が湧かないが、折角の七夕の夜、街が暗がりとなることで星が綺麗に見えるなら歓迎すべきこと。まずは自室の照明を落とし、暗い中じっとしていてもしょうがあるまいと外に出てみることにした。
七夕〜20110707
家を出た時点で二十時を過ぎていたが、街は何処も彼処も明々としている。さしもの政府によるキャンペーンもこんな西涯までは及ばないということか。私も今日になり偶々その記事を目にするまでは知らずにいた。本当に有効な施策だと思うなら、誰の目にも留まる様もっと大きく周知した方が賢明であるかと思う。
佐世保市の中心街にあるアーケードをそぞろ歩き、あちこちに掛けられた七夕飾りなどを見物した後西彼の海岸通りへと向かった。

先月所用で長崎市内に行った折、帰りに西海市の東海岸を走る国道を通った。市街地から時津の街並を抜けるまでは眩しいくらい賑やかだが、西海市に入る辺りから家屋等もまばらになり周囲が急激に暗くなる。その日はほぼ快晴で、街灯の切れ間にふと空を見上げると車窓越しにも満天の星。これはと思い立ち、待避所に車を停めて一際暗い小径に踏入ってみた。僅かに雲が出ている様でもあったので百パーセント確かとは云えないが、天頂付近の夏の大三角形辺りから南の射手座・蠍座にかけてぼんやりと光の帯らしきものがやや途切れがちに横たわっている。恐らく天の川に違いない。今までにはっきり見たと云えるのは大学時代或る秋口に北海道を一人旅した時、稚内の街中での一回のみだ。初めて見る天の川には勿論感動したが、街灯りがある中でも普通にくっきりと見えることに驚いた。少なくとも当時の稚内はそれだけ空気が澄んでいたのだろう。それからこれまで一度もまともに見た覚えがないのは、その分濁った空の下でしか暮らしていないからか。偶に空気の綺麗そうな土地に
行っても夜間満足に出歩けなかったり、或いは天候が今ひとつ不順であったりした。晴天であっても多少の靄が出ていればそれとはっきり示せないくらい、天の川の光というのは淡いものなのだ。
嘗て稚内で見たよりも幾分鈍いが、数十年振りの天の川にその時感銘した。その想いがあり今夜は西海市まで足を伸ばしてみたのだが、生憎夜半近くに至るまですっきりと晴れわたることがないままに過ぎた。途中の道では絶望的な程に厚い雲が覆い、半月に満たない上弦の月だけがその狭間に浮かんでいた。
だが、佐世保市の郊外を抜け西海橋を渡った辺りで空を仰ぐと、やはり空全体を雲が支配しているものの、時折覗く隙間から幾つかの星が瞬いて見えた。但し星と星との間を雲が埋め、見える星も数秒毎にすげ替るといった具合で、星座の形が仲々捉えられない。暗がりの多い待避場所を漸く見つけて車を停め車外へ降りると、星は処々にあるが全て滲んで見えた。
星見〜20110707
天頂近くにヴェガ(織姫星)、それよりやや南東にアルタイル(彦星)を同時に捉えることが出来たが、その時間は短く極めて断続的で、おまけに今宵はどうした訳が白鳥座のデネブが(あくまでも私の見ている間は)一度も姿を現さず、遂に夏の大三角形を目にすることなく終った。勿論こんな空模様では天の川など見える筈もなく、ただヴェガを含むこと座の形をはっきり追えたこと、そして七夕に縁のある二つの星が拝めたことだけで溜飲を下げた。その後ウェザーニューズから雨雲アラームが届き、実際帰り道には微かな雨粒がフロントグラスを打ったことを想えばその時間、適切な星見スポットに居られたのは幸運だったのだろう。

帰宅の後は夜半を過ぎていたが、素麺を茹でて食べた。何でも七月七日は「そうめんの日」だそうだ。全国乾麺協同組合連合会のサイトによれば、後醍醐天皇の時代(927年)に宮中の儀式・作法等を集大成した「延喜式」において、旧暦七月七日の七夕の儀式の際素麺の原型と云われる索餅(さくへい)が供え物のひとつとされたこと、また平安期からは宮中における七夕の行事に素麺が欠かせない供え物とされていたこと、等が記されている。尤もその習慣が現代に至るまで代々受け継がれてきたかどうかは定かでなく、まして「そうめんの日」と呼ぶ様になったのは同連合会により昭和の五十七年になってからとのことだそうで、どちらかと云えば「バレンタインデー」や「年明けうどん」の類ではないかと思う。
だがしかしそうした歴史的意味合いの有無に拘らずこの季節になれば冷たい蕎麦や素麺が自然と食べたくなるもので、この日を「そうめんの日」と呼ぶならばそれに乗り今夜は素麺にしてみよう、安直ながら舌と腹は頗る満足感を味わった。

余談だが、長崎県下には幾つもの特色ある麺類がある。全国的に恐らく最も有名なのは長崎中華街に代表される「ちゃんぽん」と「皿うどん」だろう。皿うどんは更に大きく分けて「かた麺(パリパリ麺)」と「やわらか麺(所謂焼きそば風麺)」の二つがある。
だがそれだけではなく、島原地方には全国でも指折りの生産量を誇る素麺「島原そうめん」があり、更に五島に渡れば日本のうどんの発祥とも云われる「五島うどん」がある。五島うどんは所謂手打ちではなく土地の椿から取れる椿油を使用した手延べで作られるコシの強い細麺である。真偽は知らぬが、その製法からうどんのみならす素麺の源とも云われる。茹で立てを鍋から直に頂く「地獄炊き」も良いが、夏場には素麺同様冷水にさらしつけ汁で頂くのもまた美味い。先日開封した余りの五島うどんがあるのを食べようかとも思ったが、今夜は「そうめんの日」にあやかり島原そうめんを頂くことにした。
素麺〜20110707
全国有数の麺処と呼んでも差支えない長崎であるが、蕎麦(所謂日本蕎麦)においてはいささか寂しい。尤もこれは長崎に限らずうどん食文化の発達した関西、或いは東海から西においては概して云えることではあるが、蕎麦好きの私としては正直不満だ。
posted by 紫乃薇春 at 23:17 | Comment(0) | 星見日記

2010年12月21日

月蝕

月蝕〜20101221壱

本年最後の月蝕。
ピーク時は皆既だったというが、西の涯ではままならず。

蝕の終る間際に辛うじて欠けた月が彼方の稜線から顔を覗かせた。
その姿を運良く捉えることが出来たので報告しておく。

月蝕〜20101221弐
posted by 紫乃薇春 at 19:47 | Comment(0) | 星見日記

2010年11月18日

星見日記/きらきらフェスティバル2010

昨日の未明は久々によく晴れた。この処雲の出易い日が多く、また時期外れの黄砂などの影響もあり空気の濁りが著しかったが、この辺りでも稀に見る程澄み切っていた。自室のベランダに出て仰いだだけなので向かいのビルに大きく視界を遮られ満天の星空とは到底呼び難かったが、普段なら見えない程の暗い星までくっきり映り密かに気分が華やいだ。
今朝未明はしし座流星群の今年の予想ピーク。より正確には明け方とのことで、流星群の活発な時期からも外れている為余り期待は出来ない。ただ昨日の様に晴れれば星はよく見えるに違いない。この時期は未明になればカノープスが顔を出すので(勿論空模様によるが)それも毎年楽しみなのだ。
星見日記〜20101118壱
日付の変る頃を見計らい、昨年も同流星群を望んだ佐世保の弓張岳へと向かった。知名度では遥かに及ばないが、夜景で名高い長崎の稲佐山より標高がある。長崎に比べれば控え目だが、この山から見下ろす佐世保の夜景も仲々見事なものだ。
山頂手前の駐車場に車を停め、展望台のある弓張公園へ。生憎、昨朝に比べ雲の多い空だった。加えて大分西に傾いてはいるが月明かりが闇を照らし、流星群だの星空を眺めるにはいささか不向きだった。
星見日記〜20101118弐
しかし目が慣れてくると、街灯の殆どない分星の数が街中に比べて多いことは悪条件の下でもわかった。まだ駐車場にいる内早速ひとつの星が流れて、それだけで繰出した甲斐はあると思えた。

弓張公園の見晴らしの良い場所に移動し、オリオン座と大犬座の位置を確認すると、丁度カノープスが地表に出ている頃だった。低空の水平線すれすれの辺りに目を凝らしたが、かなりの靄がある様でカノープスを見つけられない。ひとまず空の別の一帯を見回すと、ペルセウス座やカシオペア座の辺りが澄んでいる。アンドロメダ座は正に沈み行こうとしている処で地上の明かりの影響を受けてしまっているが、もしやと思い或る一角にレンズを向けシャッターを押した。撮った写真を拡大してみると、余りにも朧気ではあるがそれと思しき箇所に光のしみが写っている。雲の切れ端でなければこのしみがアンドロメダ銀河に違いない。天体望遠鏡などと接続している訳ではないので心許ないが、カメラだけでもこの銀河を写せるのだと確かめられたことは大きな収穫だった。
視点を変え、再び南の低空を見た。先程は靄しか映らなかった処にポツンと微かな光の粒が見える。時折濃く押寄せる靄に霞んで頼りないが、カノープスだ。このシーズンもひとまず出会えたことに感謝しよう。そう呟いた時、オリオン座の右脇を掠める様にまた星が流れた。
カノープス〜20101118
午前4時頃まで弓張の丘で粘ったが、一時はかなり綺麗に晴れ亘った空に再び雲が出始め、空を覆ってしまった。一番のピークはこれからの筈だが、と思いながらそれでも流星とカノープスをいずれも見られたことを喜んだ。
今朝は結局、3個の流星を見た。2001年に出現した流星雨でもなければ仲々、流れる星を収めることは出来ないだろう。生きている内に再びあの様な星々の群れに遭遇する日は果たして来るのだろうか。

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夜、佐世保市街地の島瀬公園へ。今年で15回目を迎える「きらきらフェスティバル」の電飾が今日から灯る。相方曰く例年年越しまでは点灯するとのことだが、今年はクリスマスの12月25日までで終りだそうだ。世の中の不景気がこんな処にも反映しているのだろうか。
きらきらフェスティバル〜20101118
昨年は初めて見たこともあり独自の趣向とに感心したが、今年はデザインからして少し微妙に感じられた。同イベントのサイトも先日検索した限りではどうした訳かリンク切れになっており、開催者また佐世保市民の心意気も落込み気味なのだろうか。
サイトが見当たらず調べられなかったが、昨年と同様であれば今年も島瀬公園のみならず市内各所で同イベントに関わる電飾が灯してあるだろう。帰り道、少なくとも佐世保公園には設えてあるのを遠目ながら確かめた。
先に始まったハウステンボスの「光の街」と共にこれから暫く、佐世保の街はクリスマス一色で賑やかになりそうだ。「光の街」では今月20日より、「光の宮殿」及び「光のアートガーデン」が新たに開設し、更に眩しさを増すだろう。
posted by 紫乃薇春 at 23:23 | Comment(0) | 星見日記

2010年07月09日

白鳥座

白鳥座〜20100709

織姫と牽牛の説話の陰で地味な印象を受けるが、白鳥座の一等星は夏の大三角形の一角を成す重要な星である。
そしてまた星座自体も南十字と対を成し、北十字星と呼ばれる顕著な星座である。
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2010年07月07日

七夕

七夕〜20100707壱

「七夕には無事晴れて、星が拝めることを祈っています」―友人とのやり取りで語った通り、毎年夏が近づくと七月七日の天気が気になりそわそわし出す。幼少の頃は殆ど叶ったためしがないが、ここ数年は願いが通じたのか、それとも気候に変化が生じたのか晴れ間が覗くこともしばしばあって、織姫星と彦星の姿を屋根越しに望める年が増えた気がする。
今年も願いは同じだが、自らの住処が変り風向きも変化した。少なくとも先週調べた長期予報は芳しくなかった。大雨の日は少ないものの却って途切れの悪い小雨が長く降り続き、それは典型的な梅雨の雨足ではあるが気分も次第に萎んでゆくのを感じていた。週の狭間には一旦止んだかと拳を握ることもあったが、今度は霧の様な細雨が注ぎ恨めしさと共に湿度を増した。

だが週が明け、天候に回復の兆しが見え始めた。霧雨は止んだものの湿気は残って県内では食中毒注意報(?)が発表されるなど環境は決して好ましくなかったが、昨日は曇りがちではあるが雨音は響かなかった。
そして今日は朝から強い陽射しが差込めた。空はやや黄ばみがかり大気中の水分はまだ多いことを伺わせたが、夜への期待は膨らんだ。その後陽が西に傾くと靄が濃くなって、夕方からは空を覆う様に雲が広がった。日没後相方の計らいで佐世保の弓張岳へと向かったが、雲はまったりと腹這いに寝そべっている。だが西の空に宵の明星が見えたので希望は失わずにおいた。

空がすっかり暗くなり、暫く佇んでいると東の雲に切れ間が生まれた。ものの数分ではあったが、ヴェガ(織女星)とアルタイル(牽牛星)、それに白鳥座のデネブからなる夏の大三角形を無事拝み、今年は願いが叶う喜びを覚えた。
僅かな時間で再び雲が星を隠してしまったので、今年はこれまでと高を括り帰り仕度を始めた。弓張岳の展望台にある自動販売機の辺りからしきりに聞こえる猫鳴き声が気になっていた。近寄るとこの春生まれたばかりと思しき仔猫が二匹じゃれ合っている。親猫はどうしたのかと怪訝に思いながらおいでおいで、と手招きすると、用心しつつも次第にすり寄ってきた。弓張岳を訪れる人々に構われマスコットの様な存在を受容れているのだろうか。
七夕〜20100707弐
仔猫達とひとしきり戯れ、さあ帰ろうと立ち上がりふと空を見上げると、雲が払われ満天の星が瞬いている。良い意味で狐に、いや猫に化かされた気分になりながら夏の夜空を眺めていた。街中からしたら充分な星空だが、幾分靄が残るのと、意外に明るい展望台の照明が仇となり天の川までは見えなかった。
やがてまた雲がたなびき出し、大三角形が霞むのを見ながら駐車場へと戻った。着いた時は気付かなかったが、車の傍に黒い大人の猫が居て、仔猫達の声に耳を傾け反応している。あの仔猫達の親だろうか。利用者の多い弓張岳で心ない客に虐められなければ良いが、と想いを残しつつ下山した。

七夕〜20100707参

とある食品会社が七月七日生れの人を対象に行った調査によると、七夕について正しく認識している人は殊の外少ないとの結果が出たそうだ。中国の乞巧奠(きこうでん)に基づくと云う小難しい由来はさておき、織姫と彦星の関係については「恋人」と答えた人が八割弱。正しくは「夫婦」だが、正解はおよそ二割で、その他に「兄妹(姉弟)」「友達」また現代らしい奇抜な回答も数件あったそうだ。
織姫と彦星の職業については、織姫の正解が「機織り」で54.9%、彦星は「牛飼い」で64.7%。いずれも過半数を超えたが、「巫女」「舞姫」「歌姫」、或いは「農民」「神主」「漁師」等の誤答もそれぞれに見られた。七夕の物語を知らなくても名前を見れば「織姫星(織女星)」、彦星は別名「牽牛星」で何となくでも見当がつきそうなものだが、イマジネーションの控え目な人が少なからずいるのだろうか。そもそも「興味がない」人も実際は結構いるのだろうが、何事につけ無関心というのは寂しいことだ。
現代の教育方針が正しい知識を得る機会、物事への関心を培う機会を奪っているのだとすれば嘆かわしい。
posted by 紫乃薇春 at 23:19 | Comment(0) | 星見日記

2010年05月01日

夜明けの一番星

一番星、とは夕方一等初めに見え始める星のことだと思っていた。いや、それで意味は間違っていないが、日が暮れ始めまず浮かぶのはより明るい星であり、殊に宵の明星と呼ばれる金星のことを指すらしい。
だが他の星と同様金星も見える時期と見えない時期があり、見えても明け方であれば一番星とは呼ばれない。同様といっても金星は惑星なので肉眼で見える殆どの星=恒星とは動きが異なるし、また内惑星(太陽から見て地球より内側にある惑星)である為外惑星(太陽から見て地球より外側にある惑星)の火星や木星、土星等ともまた異なる独特の周期を以て移動する。いずれにしても金星の位置が太陽と被るか極めて接近している時期は陽光に妨げられ通常は見えない。そういう時期はその季節の最も明るい一等星が一番星である場合が多い。冬ならばシリウス、夏ならばヴェガ辺りだろうか。

しかしその日初めに見える星が一番星であるならば、早朝起き抜けにカーテンを捲って最初に目に留まった星が一番星でも良いのてはないか。屁理屈なのはわかっているが、今朝はそんな想いを抱かされた。
いつも夜更かしの生活に馴染んで暮らす私だが、昨夜は寝不足が溜り過ぎたのか思いがけず早く寝入ってしまった。齢の所為か早く寝れば起きるのも早く、今朝は未明の内に目が覚めた。
急に缶コーヒーが飲みたくなったが買置きがない。いや一本は冷蔵庫にあったが、それを飲んでしまえば後でまた飲みたくなった時に途方に暮れるだろう。レギュラーのコーヒー豆もインスタントコーヒーも我家にはあるが、缶コーヒーはそれらとは別の飲物としてしばしば欲する私にとってのジャンクフードなのだ。
寝癖で髪がボサボサだが、外はまだ暗いのでもし誰かとすれ違ってもさほど気にならないだろう。天気も良さそうだし、早朝の散歩を兼ねて近くの自動販売機まで出掛けることにした。昼間は暑いが夕方から明け方にかけてはまだ冷込む時期なので、部屋着のまま外套だけ羽織り東向きの玄関を開けると、向かいの家屋の屋根と山の稜線の上すれすれにサーチライトかと見紛う程明るい星が見えた。

今の時期、金星は宵の明星として夕方の西空にあり、夜明け前に見える筈はない。見えたのは木星に違いないとすぐに察しはついた。金星と木星は現在、太陽を挟んでほぼ対角にある訳だ。
火星が地球に最大接近した時など僅かに等級が抜かれてしまうこともある様だが、それは稀であり通常木星は金星に次いで全天において二番目に明るく輝く星だ。だが位置の関係で久しくその姿を拝めずにいたが、この未明半年振りくらいで見た輝きは驚く程眩しかった。月明りと春の霞が相俟う朧空の中、その光は威容であった。
居待月〜20100501
今朝の月は蠍座にあり、アンタレスのすぐ脇を照らしていた。かのオリオンを毒針の一撃で倒したと云われる蠍も、居待の月に踏み潰されてはさすがに堪るまい。
帰宅してからカメラを持ち再び玄関の外を覗いたが、木星は既に地平から高く浮かび上がり、夜も白み始めていた。
一番星〜20100501

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朝日がすっかり上った頃ベランダに出ると、二羽の烏が仲良さげに並び、近所のアパートの屋上に留まっているのが見えた。思い出したが今は烏の繁殖期。産卵が終りそろそろ雛が孵る時期に当たる。するとあの二羽は番(つがい)だろうか。この部屋からは見えないが、屋上に巣を営んでいるのかも知れない。
烏の番〜20100501
烏は人に余り好まれない鳥のひとつであるが、鳥類には高過ぎる知能が招いた不運だろうか。見た目や鳴き声を忌む人も少なからずいるのだろう。
私自身は烏が決して嫌いではない。むしろ愛敬を感じて可愛くすら思えるのだが、性の荒い烏は元より穏やかな気立ての烏でさえこの時期は神経質になるので要注意だ。他の多くの鳥と違い、烏は人に向かい直接襲いかかってくることがある為だ。私は幸いまだ烏の攻撃を喰ったことはないが、巧みに背後から後頭部目掛けて躍りかかる話はよく聞く。他にも頭上から石を落としたり、捕まえたと思っても油断した隙に嘴で目を狙い大怪我を負わせる等等。そう云えば烏の留まる電線の下を歩いていたら糞を浴びせられたことはあったが、これはわざとではなく、人が近づくにつれ烏の緊張が高まりいつでも飛立てる様に脱糞して身を軽くする、そのピークが丁度烏の真下を人が通る時に重なる―というのだが、本当だろうか。
YouTubeにリスの死骸を狙う烏と仲間の死骸を必死で守ろうとする別のリスという動画がアップされ、評判になっている様だ。このリスは本当に仲間の死骸を守ろうとしているのか謎であり事の顛末も告げずに動画は終っているが、そこでの烏は明らかに悪役である。
だが目の前にいる番と思しき烏は実に健気で愛らしい。距離はあるとは云え、烏の機嫌を損ねる様な刺激を与えれば挑みかかってくるかも知れない。恐る恐るカメラ取出し番の写真を撮ろうと構えていると、別の烏が二羽じゃれ合う様に向かいから訪れ背後に飛去っていった。
posted by 紫乃薇春 at 20:28 | Comment(0) | 星見日記

2010年01月30日

月ヲ想フ

月ヲ想フ〜20100130

今宵は月が地球に最接近するのだそうだ。
月の軌道は地球の周りを正確な弧を描く様でいてその実幾分歪んでおり、地球との距離が近づいたり遠ざかったりしている。実際に見える大きさも10円玉と1円玉くらいの差があるそうだが、道理でこの数日の晩、月が殊更顕著に映った訳だ。
月が太陽と地球とを結ぶ線上に割込んで起こる現象・日蝕にも皆既蝕と金環蝕のあることは御存知だろうが、それはこの月と地球との距離の差がもたらすものだ。
煌々たる満月を拝みたいが、残念ながら今夜は分厚い雲が空を覆い、おまけにかなりの雨が降っている。到底望めそうにない。
posted by 紫乃薇春 at 21:00 | Comment(0) | 星見日記

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