2015年01月06日

三社詣

既に年が明けて六日が経ってしまったが、年越しから三が日の出来事を大雑把に記してみよう。

大晦日、旧年内最後の仕事を済ませた後迎えに来た家人と年越し蕎麦を食べに街へ繰出した。帰宅して、観るともなく点けたテレビから紅白歌合戦の歌声が流れるのをBGMに旅行の準備を済ませた。
予定より遅く年を跨いでしまったが、元日になって近所の八幡神社へ初詣に出掛けた。歩くつもりだったがかなり冷え込みが厳しく、また時間も押した為少しでも早い方が良いだろうということで車で出たのだが、雪が舞い始めている。神社に着いて既に境内からはみ出す程に連なった列に並んでいると、雪の降りが夥しくなった。幸い列は速やかに進み、柏手を打つまで長さを見て怯んだ程に時間はかからずに済んだ。

再び帰宅して仮眠を取り、午前の内に出直して博多へ。家の玄関を開けた時、向いの家屋の屋根には薄ら雪が積もっていた。雪かきが必要な程ではないが、未明から明け方にかけ絶間なく降り続けていたのだろう。
博多に着いて、雪は間もなく小止みになったが寒さは一層募った。先に食事を済ませてから宿へ。荷物を置いて街へ出た。祗園の山笠で名高い櫛田神社の脇を通ったが、通りにまで続く参拝の列を見て並ぶのを止めた。そしてその足で中洲や天神、キャナルシティ界隈を徘徊した。殊に何処へゆく宛もなく、彷徨うだけで元日の夜を過ごした。

翌日、一時は止んだ雪が再び街のあちこちに白化粧を施していた。しかし幸い早く目覚められたので、天神まで移動して西鉄の列車に乗り太宰府へと赴いた。
太宰府天満宮〜20150102
太宰府に着いて程なく、それまでは小降りで落着いていた雪の降りが激しくなった。気温が不安定なのか、雪はやがて霙に変ったかと思えばまた乾いた雪になる。そのおかげで積もる雪の重みが増して、傘を握る手に軽い痺れを覚えた。境内に咲いた傘の花にも雪が積もり、時折傾いだり窄んだりする度にザザッと音を立てて雪崩れ落ちる。気温が緩む折に解けた雪が足元のあちこちに小さな池を拵えて、全国有数の参拝客に圧されるがまま横へ退いた拍子に池の一つを踏み抜き、足ごと靴を濡らしてしまった。

やっとの想いで天満宮参りを済ませ西鉄の駅へ戻ると、天神まで直通の列車が丁度発車しようという処だった。
急いで乗込み天神まで戻ってみたが、時計を見るとまだ午後さほど遅くない時刻。天神の地下街を少しうろうろした後、今度は貝塚行きの地下鉄に乗って筥崎宮へと向かった。
九州や中国地方など西日本に多い風習として、初詣は即ち三社参りというのがあるらしい。地域によってその在り方も様々で、和歌山などは巡る社も決まっているそうだ。福岡の場合は定かでないが、年末年始のテレビではしきりに太宰府天満宮、筥崎宮そして福津市の宮地嶽神社の三社を宣伝していた。

箱崎宮前で地下鉄を降り地上へ出ると、雪も霙も止んでいた。開放的な参道には出店かざっくばらんに並び、太宰府に比べると幾分緩い人波が神社へと続いている。
筥崎宮〜20150102
境内にはまだそこかしこ水溜りが残り、列をはみ出さない様気をつけながら歩を進めた。思った程の混雑ではないが、本殿前では参拝列を或る程度毎に区切り入場制限が行われていた。その為辿り着くまでに多少の時間がかかったが、参拝の際には却ってもみくちゃにされず済んだ。
太宰府には梅ヶ枝餅という名物があるが、此方には社日餅もしくは筥崎饅頭と書かれた幟が立ち、試しに参拝の後買ってみた。粒餡をくるんだ餅を平たい型に入れ、表面に薄ら焼き目が付くまで温められたものが出された。「梅ヶ枝餅だ」といって出されたら実際、全く区別が付かない。しかし焼きたては餅がパリッとしてどちらも旨い。

筥崎宮を後にして天神へ戻る頃には日も暮れて、その日は少し夜の街を楽しみ食事をしただけで宿へ戻った。
翌三日、昼前に宿を発ち、博多駅へ。年末始の帰省からUターンラッシュのピークとあって、駅構内は夥しい人込み。暫く待って漸く空いたロッカーに荷物を押込み、JRで小倉方面へ。宮地嶽神社へは福間駅で下車し、2km余りある長い参道を行かねばならない。
駅前で地図を確認し、歩きだそうとした処、経由地に宮地嶽神社と書かれたバスが来た。家人と顔を見合わせ乗ってゆくことにしたが、それが迂闊だった。駅前の停留所を出て間もなくバスは参拝の渋滞に嵌り、数分毎に数mしか進まない。おまけに乗車して程なく、宮地嶽へは行かず迂回路を通るとのアナウンスが。慌てて次のバス停で降りるべくボタンを押したが、仲々着く気配がない。バスは随分遠回りをしている様で、途中幾度か居眠りをしてもまだ扉の開く様子はなかった。
結局1時間以上も缶詰にされた後に漸く降車出来たが、降りた処が思いの外神社に近く、わざわざ長時間乗った甲斐も少しはあったと云えるだろうか。
そこは駅から向かう道とはまた違う、福津の海から真直ぐ続く参道で、その先に石段が見える。平地に建立された太宰府天満宮や筥崎宮と異なり、宮地嶽神社はその名の通り小高い山の中腹に建てられた社である。
石段が近づくにつれ参拝客が溢れて、やがて道一杯に並ぶ列の最後尾に辿り着いた。筥崎宮と同様こちらでも入場制限を行っているらしく、その人数と石段を登って行かねばならない造りから確かにそれがより安全なのだろうと納得した。
三が日また年間の来場者数は太宰府天満宮に次ぐ九州第2位とのことだが、入場制限等により本殿に至るまでの所要時間と狭い木立に囲まれた境内に詰めて寄せ合う人々の様子から、むしろこちらの方がより混雑している風に感じられた。
宮地嶽神社〜20150103
列に並んでから本殿まで小一時間。さすがに少々並び疲れて、日本一とも云われる巨大な注連縄にもだから何だとやややさぐれた気分で目を遣った。風情ある境内だが「わざわざ(人の多い)初詣の時期に来なくても良いわ」という家人の呟きに半ば頷きながら参拝し、帰ろうとした。が、ふと本殿の横に目を遣ると「奥の宮 八社巡り」の案内が。まだ日暮には多少間があり、興味を得たのでそちらも巡ってみることにした。
数組の参拝客はいるものの、本殿までの人込みに比べたら随分物静かである。奥の宮八社とは、七福神社、稲荷神社、不動神社、万地蔵尊、恋の宮、三方荒神、水神社そして薬師神社の八社。足早に巡ったので、一つ二つの社は見逃してしまったかも知れない。しかしやはり来てみて良かった、と思えるひと時を過ごした。
奥の宮を出て下山しようかと思う処、大道芸人による南京玉すだれが始まろうとしていた。これも縁である。この日で丁度芸歴20年という芸人の巧口上に誘われ、一見たどたどしくも思わせながら練れた手さばきにいたく感心した。

帰り道の参道で、太宰府の梅ヶ枝餅、箱崎の社日餅に続き松ヶ枝餅と名付けられた名物を見て購入。これも他二つと違いのわからないものだった。但し作り手の違いか、食べ慣れた太宰府の梅ヶ枝餅に比べ幾分粗さがある様で、次に機会があればまた別の店の松ヶ枝餅を食してみたい。

三日の夜に帰宅し、翌四日は終日休み。体を休めて仕事初めを迎えたが、いささか暴食気味の所為か胃腸の疲れを感じる。
明日は七日正月。好物の七草粥が待ち遠しい。
posted by 紫乃薇春 at 23:40 | Comment(0) | 旅記(仮)

2013年05月07日

帰路

連休も瞬く間
西へと向かう道すがら。

帰路〜20130507

来る道で不完全ながらも見えた富士山は生憎
瞬時、稲光が慄きをけしかけた。
posted by 紫乃薇春 at 21:03 | Comment(0) | 旅記(仮)

2013年02月20日

飛梅を観に

執拗な昨夜の雨は何処へ行ったのか、今朝は一転して清々しい青空。むしろ鮮やか過ぎて眩しく、日除けをしないと眩暈がする程だった。実際には所々雲が浮かんでいたが、それすら白さが痛く目に染みた。
月の初めから気になっていた太宰府の飛梅を、仲々日が空かず行かれないでいたが、今日漸く一日の空きか出来たおかげで足を運べた。既に一週間程前から満開と云われ、もう時期が遅いかと心配だったが、幸いまだ目立つ程衰えてはおらず、むしろ蕾のままの枝も少し残るくらいでまだまだ見頃は続いている様だ。初めて太宰府を訪ねた6年前、頃は3月の初旬で境内の多くの梅は色彩々に見頃を迎えていたが、早咲きの飛梅は残念ながら八分程散ってしまっていた。それから幾度か太宰府を訪れているものの、梅の時期には行かれずにいた。数年来の溜飲を今日、漸く下した気分だ。

飛梅〜20130220

太宰府は古の昌泰年間に菅原道真が左遷を蒙った土地である。西暦901年この地に流された彼はその後都に戻ることが叶わず2年後に没するのであるが、その遺体が葬られた安楽寺が今の天満宮の場所であったと伝えられている。今では梅の名所として知られているが、その元がこの飛梅だった様だ。
この梅は嘗ては道真公の京の屋敷にあったのだが、彼が或る謀で流されることになった時、庭の梅樹に向かって歌を詠んだ:

「東風ふかば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

梅を殊の外愛した道真であったが、庭の草木は皆彼を慕っていた。主人との離別に、桜は悲しみの余り見る見る葉を落とし、瞬く間にに枯れてしまった。残った松と梅は道真の後を追って空を飛んだが、松は途中で力尽き梅だけが太宰府の道真の許に辿り着いたというのが「飛梅伝説」と呼ばれるものである。尤も実際にはそんなことは起こる筈もなく、現実的な説としては道真公の知人もしくは京で仕えていた者が株分けの梅を携えて訪ねた、或いは道真自身が移植したという説もある。
因みに途中で力尽きた松の方は現在の兵庫県神戸市の須磨の辺りに降立ち、そこに根を下ろしたとされる。「飛梅伝説」ならぬ「飛松伝説」というものも伝わっているそうだ。
「飛梅伝説」も太宰府だけでなく、現在の福井県や岡山県、山口県等にも伝わるそうで、それらの地に降立った梅は何を想っていたのだろう。悲しみが過ぎて眼が曇り、迷宮を彷徨っていたのだろうか。

飛梅〜20130220

太宰府の御神木であり、樹齢一千年を越すと云われる飛梅は実に立派な枝振りだが、実は一本の梅ではなく三本の株からなる群である。三株とも共に飛来したのか、それともこの地で株分けされたものかはわからない。
飛梅が見頃の一方で、境内の梅はまちまち、ほぼ満開を迎えているものもあるが多くはまだ五分咲き、中には開花していないものもあった。一番の見頃は今月終りから来月の上旬頃だろう。その頃は飛梅が衰えてしまうので、出来れば時期を分けて二度三度と足を運んで観たい太宰府の梅である。
まだ陽の傾き切らない内に天満宮を後にして、参道で買った梅が枝餅を食べながら付近の路地を散策した。今回は家人お薦めのお店の蕎麦にもありつくことが出来て、寝不足ながら満足の行く太宰府訪問であった。

飛梅〜20130220
posted by 紫乃薇春 at 23:15 | Comment(0) | 旅記(仮)

2012年11月21日

西へ

都内で二泊、実家で二泊と合計四泊の関東滞在を終え、今はもう九州に向かって走る新幹線の車内である。

ライブの翌日、真直ぐ実家に向かう予定の処午後が空いていたので、翌日行くつもりでいた前住所の役所に寄っていった。用件は早めに済み、まだ日が高いのを良いことに北鎌倉まで足を伸ばした。嘗ては庭みたいな場所だったが、移住後は縁遠くなってしまい訪れるのは何年振りかである。
細長い駅のホームには中学生か高校生と思しき若者達が溢れる程に群れていて、修学旅行ででも訪れたのだろうか。平日なのでもう少し静かに過ごせるかと思ったが、当てが外れた。しかし彼等が北鎌倉の良さを少しでも感じていてくれるなら文句はない。
近年鎌倉の市内もあちこちで宅地造成等人の手が入り景色を変えていっているが、山あいのこの佇まいはまだ記憶と違わない。駅最寄の鎌倉五山の一つ、円覚寺を訪ねた。
円覚寺〜20121119-1121
少し歩けば浄智寺や東慶寺、明月院に建長寺など沢山の寺があるが、何処か一ヶ所をと云われたら私は円覚寺を選ぶ。単に好みというだけで、他の寺より何処が良いとは敢えて云わない。
以前この寺の塔頭の一つで水琴窟を聴かせて頂いたことがあるが、あの住職は今どうしているだろうか。話好きな住職だった。本当は説法を聞きにきて欲しいのだけれど、と云いながら水琴窟を設営した時の話、手入れの大変さなどを一時間余りも語ってくれた。無作法な私は感心しながらも実は殆ど上の空で、ただその塔頭に二つある水琴窟の音色の違いに興味深く耳を澄まし、一方で余りに派手で軽やかなカラコロカラン、という響きに一寸ばかり違和感を覚えたものだった。
寺巡りをしたい処が円覚寺で殊の外長く費やした為、やめて大船駅までの道を歩いた。大船の市街地が近づくにつれ、見覚えある筈の街並が所々姿を変えているのに気づいた。古い電気屋の向かいにあった私の一番行きつけの喫茶店は、私がまだ関東に棲んでいた時分に閉店してしまったが、その跡地も外装を替えて新たに別の店が入居しているらしかった。それでももう一軒、三揃えのマスターのいる喫茶店は今も店を開けていて、すっかり平成に馴染んでしまった大船にあってそこだけが異なる時間を生きている様に見えた。
昔通りの美味しいコーヒーとケーキで当時を偲び、駅を跨ぐと余りの変り様。尤も駅前工事については、引越す直前に予定を示す案内が大きく掲げられていたので驚きはなかった。

次の日、玄関先で実家の楓の色付きを見つめた。
家紅葉〜20121120-1121
嘗ては毎年この紅に出迎えられながら、親しみ過ぎておざなりに眺めていたのだった。改めてしみじみと向き合ったが、少しばかりくすみがかって見えるのはまだ熟しきっていない所為だろうか。それとも、大気の質が変ったからなのか。身内から、今年は実家の庭にも奇形した植物が生えたと聞いた。
役所の用事を前日に済ませた分終日空いている筈だったが、都内に急用が出来て出掛ける破目になった。実家の近所と隣町辺りをゆっくり散策したいと目論んでいたが、最寄駅までの近道である山間を歩くだけに止まった。身内から聞いていたが、家の南東の小山がその中央から削られているのを見て寂しい気持になった。手前の緑地も半分潰され、車道を通すのだろうか。
都内から戻り、既に夜の暗がりが訪れた街を遠回りして歩いた。昔とった何とやら、である。記憶とさして違わない風景に安堵したのも束の間、またも覚えのない場所にコンビニが出来ていた。

今朝は7時過ぎに目が覚めて、帰りの列車は夕方近いが早めに実家を発ち、近所の公園に寄ってみた。嘗て、春のさくらプロジェクトでマイ桜を設定していた西方を見渡せる高台の公園である。
紅葉は殆ど終り、今は花もなく桜の最も寂しく見える時期である。しかしながら天候に恵まれ、富士山の眺望を今日は存分に愉しむことが出来た。それでも日が高いので裾野は淡く、もっと早く出れば更にくっきりと見えただろう。
新幹線は始発駅を定刻通り発車し、ふと今回もスカイツリーを見そびれたことに気づくも時に既に遅し。しかし帰りの車窓からも富士山はよく見えて、これは縁起が良い、と思った。

富士山〜20121121-1121

時折居眠りをしながらハッと目を覚ますと、終点の博多が間もなくの辺りまで来ていた。
posted by 紫乃薇春 at 21:44 | Comment(0) | 旅記(仮)

2012年11月17日

東へ

北方駅〜20121117

今年5月の黒百合姉妹ライブ以来の関東に向かって現在移動中である。
東方へといって博多までなら何度か足を運んでいるが、九州を出るのは上記以来の半年振り。今回も主目的は黒百合姉妹ライブを聴く為であるが、元の住所の役所に行く用が出来た為滞在日数は前回の上京よりはやや長めの予定。

昨晩から降出した雨、長崎県北では午前中にほぼ止んだが都心では本日いっぱい降る予報。
汽車旅で雨雲に追いついてしまうことになるのか。

山口県〜20121117

その後、岡山を出た辺りから空の色が翳りを帯び始め、新大阪に着く頃にはすっかり暗くなった。
車内アナウンスで紀勢本線の特急に雨の影響で遅れが出ている旨を伝えていたが、新幹線の沿線は未だに気配がない。
と思っていたら、新富士を過ぎて三島までの間に水滴が激しく車窓を打ち鳴らした。降ったり止んだりしている様だが、東京駅付近は20時に15mm、21時には10mmの降水予報である。22時以降は曇り、日付の変る頃からは晴れの印が灯っているが、無事に辿り着けるのか少々心配である。

今夜はしし座流星群のピークだそうだが、夜半過ぎにもし晴れるなら流れる星が拝めるだろうか。
尤も今の同流星群は活発な時期ではない。11年前の流星雨の如きは望むべくもなく、過剰な期待は禁物である。1時間に10個は決して華々しいとは云えず、例えば夜中に散歩に出た折に見られたら幸運なくらいである。都心の空気と明るさと、ビルの谷間の狭い空では尚心許ないだろう。

東京駅〜20121117

20時過ぎに無事東京に着いて、土砂降りとは云わないまでも結構な雨模様。駅の構内では東海道線、外房線など幾つかの路線が雨ではなく、強風の為運転見合わせ中とアナウンスしている。
腹が減ったので先に食べてから宿に行くか、チェックインを済ませて出歩くか。取敢えずタクシーに乗ったは良いが、運転手が要領を得ず見当違いの場所で降ろされてしまった。幸い、雨は最中に小止みになったので、酷く濡れずに済んだ。
posted by 紫乃薇春 at 15:35 | Comment(0) | 旅記(仮)

2012年01月10日

連休最終日の顛末

昨日はタフな一日だった。寝不足のまま宿のチェックアウト時刻ギリギリに出て、博多駅の食堂街へ。さほど酷い空腹ではなかったので、安い饂飩屋を見つけてあっさり遅い朝食を済ませた。
来た道の鳥栖〜佐賀方面を戻るか、糸島〜唐津経由の北の道を行くかで、揉めるという程ではないが相方と頭を悩ませた。違う道を行くのは確かに楽しそうではあったが、往路では夕暮れからしか拝めなかった太宰府天満宮に今度は明るいうちに寄ってみたい気持が勝り、そちらへ向かった。
博多の駅前から国道3号に入るまで少し迷って、漸く探し当てるとかなりの渋滞。博多周辺の道ならこれが普通なのだろうとその時は高を括っていたが、進む毎に混み具合が募ってゆく。殊に左側の車線が酷く、何故だろうと考えてみたらこの日は成人の日。太宰府天満宮でも成人祭だか催事があるらしく、恐らくそれが目当ての列に違いないと相方が云う。実際、太宰府への最初の分岐点でそちらに向かう車の列は微動だにしない程連なっていたが、鳥栖方面への直進は幾分まばらになった。しかし程なくして、また左車線に渋滞が見られ、それは次の太宰府への交差点までびっしりと続いていた。
この日太宰府へ行くのはこの列に並ぶということで、幾つかあるルートがいずれもかなりの手前から動けない程詰まっている。太宰府に至るだけでも数時間はかかりそうだし、無事辿り着いてもこの分では駐車場が軒並満車に違いない。境内や参道も恐らくすし詰めで、成人の日の催しともなればやんちゃな若者が羽目を外して騒がしさも倍になりそうだ。梅ヶ枝餅や相方行きつけの蕎麦屋には惹かれるが、長時間の不快感による負担の方が遥かに勝りそうで、昨日は参拝を諦めた。

国道3号を鳥栖の付近まで来て、その先どちらに行くか此処でも迷った。太宰府を諦めたことで帰りの楽しみが一つ潰えて、相方も私も遊び心を持て余していた。いっそ熊本方面に大きく反れてみるのも面白そうだが、着く頃には夕方を迎えるだろう。すると碌に観る処もなく、帰りは更に遠い道を疲労困憊しながら戻る破目になりそうだ。
博多を発つ時点で案が出ていれば、田川方面に迂回して以前訪問した井上陽水歌碑のある公園を再度訪ねつつ付近の田園風景や炭坑跡を見渡してみるのも良いと思ったが、既に鳥栖まで来てしまっては余計な回り道の感が否めない。いや博多からも鳥栖からも実際はそう違いはないが、逆戻りではないかという気分的な感覚が拭えず今回は止めた。尤も、その気分を敢えて推しつつ田川へ向かえば陽水初期の名盤『もどり道』の精神世界を体現出来たのだろうか。生憎今回の遠出の為に『もどり道』も『センチメンタル』も用意をしては来なかった。

不意に、同じ回り道なら長崎まで行ってみようか―という言葉が口をついて出た。長崎といっても県は南北に長く広いが、ここでは長崎市街部のことである。
長崎市街から住処のある県北、例えば佐世保の市街までは80q余りある。実の処田川等に寄るより遥かに遠回りであるが、道を反復せず先へ進むという感覚を損なわず行かれるのであながち悪い案ではなかった。着くのが遅くても、長崎なら夜景も楽しむことが出来る。相方もこれには幾許の興味を示した。来る道で消費したガソリンがかなり心許ないが、佐賀を抜ける前に入れれば帰りまで保つだろう。
鳥栖から国道34号に入り、佐賀平野を横断して肥前山口の近く、江北町の東分で左折。国道207号に入り鹿島を経由して長崎訪問へ向かうことにした。
鹿島・道の駅〜20120109-0110
肥前山口から先、鉄道でいうなら武雄・有田を経由する佐世保線は支線であり、鹿島を通り諫早へと向かう長崎線が本線である。だが古くは現在の佐世保線から早岐を経由し大村線を通るルートが嘗ての長崎本線であったと聞く。実際今でも佐世保線・大村線の沿線の方が賑やかで、長崎線沿線は鹿島の市街地以外諫早に着くまでは閑散として、処々民家も途絶える様な寂しさである。しかしその分手の入らない自然な風景が端々に残り、目を楽しませてくれる。
鹿島市街地でガソリンを入れ、付近の道の駅で少し休憩を摂った以外はノンストップで長崎市街へ。それでも諫早の手前で日が落ちて、市街に着く頃にはすっかり暗くなった。
国道207号にて夕陽〜20120109-0110
ココウォークの駐車場に車を停め、空を仰ぐとよく膨らんだ月が見えた。暦に疎くなっていたが、昨夜は満月だったらしい。連休中どちらかと云えば温暖であったが、この晩は風が冷たく感じられた。夜景を観るのに高台へ上れば更に冷えるだろう。前日には小脇に抱えて邪魔者扱いした外套を、この日は深々と着込んで出た。

長崎の夜景を観るのは久し振り。それも、最近はグラバー園の上の高台から望む所謂裏夜景が主だったが、昨夜は何年か振りに稲佐山へ上ってみた。
稲佐山の山麓と山頂を結ぶロープウェイは昨年秋に新調されたと聞いていた。以前のものがどんなだったかもう覚えていないが、新しいゴンドラは黒を基調とした全面ガラス張りの現代的でクールなデザインに仕上がっていた。周囲の施設に対して新しさが浮いている気がしなくもないが、かといって景観の邪魔になることはなく、ガラス張りのおかげで乗車中、より広く夜景を楽しめる様に出来ていた。
長崎・稲佐山より夜景〜20120109-0110
山頂に着き、360度パノラマを謳う展望台からの長崎夜景は相変らずで、いつ来ても見応えがある。尤も昨夜は月明りに加え、低空まで薄らと靄っていたのか遠くの灯りは朧気に見えた。
いつもならそのまま30分、いや小一時間くらい展望台で過ごす処だが、昨夜はとにかく寒かった。何より風が強く、僅かな間カメラや携帯を持ち構えているだけで感覚が無くなり、千切れそうになった。さすがに溜らず10分程度で展望台の屋内に退避したが、他の人も一緒だった様で我々と同じ番でエレベーターに乗った二人連れ、三人連れも、後から上がってきた幾組かも屋上のエレベーターホールを出るなり口々に「寒い、寒い」と口走り、二言三言目には「もういいよ」と云ってそそくさと切上げて行った。

下山してココウォークに戻り、食堂街に佐世保の三ヶ町付近にもあるインド料理の支店で野菜のカリーを食べた。同じ店舗でも支店毎にメニューが若干違い、こちらの店はやや大雑把なものしか載っていないのが残念。野菜のカリーひとつ見ても佐世保支店は何種類か、細かいメニューが載せてあった様に思う。
それから程なく長崎を後にして、県北までは西海回り。晴れた日には星が多く時に天の川まで見える澄んだ道だが、この晩は薄靄と月の余りの明るさで、地平まで夜空が青く見えた。
posted by 紫乃薇春 at 22:21 | Comment(0) | 旅記(仮)

2012年01月08日

博多寺町巡り

太宰府天満宮を辞した後、昨夜は長崎に戻らず博多に出て宿泊した。三連休なので今夜もう一泊取っておき、明日帰宅する予定だ。
博多を訪れたのは単なる成行きではない。実はつい最近になって知ったのだが、博多には駅の間近に寺町がある。この年末年始、京都に行かない代りに何処か似た情緒のある処が近場にないかと昨年早い時期から探していた。初めは小京都で検索してみていたが、今ひとつピンと来る場所が見当たらなかった。秋月や飫肥、或いは鹿児島の知覧、更に近くには佐賀の小城や伊万里などは小京都と呼ばれ、それぞれ魅力はあるが、今の私には何か違う気がした。それから暫くその件は頭の片隅に置き忘れてしまっていたのだが、年の瀬になりふと思い出し、根拠もない思いつきで「博多 寺町」と入力してみた処、思いがけず該当する記事が続々とヒットした。
意外なこと―というと語弊があるかも知れないが、博多は寺の多い町である。その数は実に京都、奈良に次ぐものらしい。寺町と呼ばれるのは主に地下鉄祇園駅を最寄とする御供所町及び上呉服町界隈だそうだが、その周辺の祇園町や博多駅前地区にも幾つかの仏閣が点在する。行くエリアだけ決めて後は行き当たりばったり、というのが元来好みだが、折角寺町を訪ねるならどんな寺があるのか、下調べだけはしておこうと思った。すると更に思いがけなく、日本最初の禅寺やら真言密教の開祖・空海が最初に建立した寺院などがこの博多にあるらしい。また博多らしく、祇園山傘と饂飩・蕎麦等発祥の地と云われる寺もあるという。それらを主に、後は通りかかり気づいた処を拝観することで案をまとめた。太宰府同様三が日には行かれず、この連休に機会を得た。
寺町〜20120108壱
山傘及び麺文化の発祥とされる承天寺は博多駅前の一角にある。駅前といってもJR博多駅の前という訳ではなく字名であり、地下鉄祇園駅の方が遥かに近い。とはいえ博多駅からも博多口からなら10分程も歩けば着く処で、周りは高層ビルに囲まれた場所である。承天寺に限らず博多の寺は都会のビル群の狭間を縫う様にしてある処が殆どである。尤もそれは博多だけに通じることではなく、例えば京都の寺院等も嘗ての洛中に建てられた寺はすぐ隣に近代ビルが並んでいたりする。承天寺を訪れた時、佇まいが京都の六角堂によく似ているな、と感じたものだ。さほど広くはないが落着いた雰囲気で、境内には松の木が多く植えられていた。
承天寺の裏門を抜けて祇園駅前に続く通りに出ると、向かいには乳峰寺という摩利支天を尊ぶ寺があった。こちらは本当にこじんまりとした境内で構えも新しいが、恐らく古くより由緒のある寺なのだろう。

続いて御供所町の東長寺へ。弘法大師の創建としては日本最古とされるこの寺は、恐らく博多の寺町最大の観光寺院である。外からは思えない程広々とした境内には立派な六角堂と五重塔が建ち、更に立派な伽藍が聳える。京都の東西本願寺程ではないが遠近感を見誤る程の伽藍は余りに大き過ぎ、どの角度からカメラを構えても収まり切れない程である。但し六角堂以外の建造物は近年再建されたのか見るからに新しく、歴史を感じられないのが残念だ。
寺町〜20120108弍
この寺の一番の注目は、こちらも近年、昭和の末期から平成にかけて再建された様だが奈良や鎌倉に劣らぬ偉容を湛える大仏である。黄金色が眩しい奈良の盧舎那仏、津波に耐え年月の過酷さを伝える青銅色の鎌倉大仏とも異なりこちらは木造。胎内巡り(地獄・極楽巡り)が無料で拝観可能で、三途の川から阿修羅道までの地獄絵図をしっかりと目に灼きつけた後は暗闇が待受ける。これが本当に灯りのひとつもない真闇で、そんじょそこらのお化け屋敷などより余程怖い。道は曲がりくねっていて、左側に手摺があるのでそれを決して離さぬ様、すがりつく様にしてゆっくりと進むしかない。一方の右手も遊ばせておく訳には行かない。闇道の途中には仏の輪があるというので、何とかそれに触れようと布(らしきもの)の貼られた壁を右手でまさぐりながら進む。暗闇は思いの外長く、まだ続くのかと動揺し出した頃、不意に右手に何かが触れる。重たい金属の、これが地獄で仏というのだろうか。輪に触れて間もなく、前方に薄らと光が差込めて、明るみの下に辿り着く。そこに待受ける「極楽」の画。
ところで、地獄・極楽巡りの最中確かに前方がどう曲がっているのかもわからぬ真闇であったが、何故か靄々したものが取巻いている様に見えて仕方がなかった。あれは何だったのだろう。直前に観た地獄絵図の残像だろうか。

同じ御供所町の聖福寺は境内の広さにおいて、恐らく博多寺町における最大規模を誇る。こちらは臨済宗の開祖・栄西が源頼朝よりこの地を賜り創建した、日本最初の禅寺とのこと。山門など古く味わいがあって凛とした佇まいである。
寺町〜20120108参
山門の奥には仏殿があるが、残念なことに大規模な修復工事中の為拝観出来ず。尤も平成24年中に完成とあるので、もう暫く経ってまた行けば拝めるかも知れない。仏殿の更に奥には本堂があるが、こちらは元より「拝観謝絶」となっていた。寺町でも一際目立つ規模を持ちながら、本来この寺は観光寺院ではなく厳しい禅道場の姿勢を保っている様だ。
他に、西光寺や西教寺、妙典寺、善導寺など全部で十ヶ所程の仏閣を巡ったが、巡りながら気づいたのは所謂観光寺院が極めて少ないということだった。聖福寺もそうである様に、賽銭箱すら設けていない処が多い。だがその割に殆どの寺が門を開け、立入禁止の場所はあっても拝観自体を拒んではいない処が殆どで、博多の寺の気風を垣間見た様に思う。

博多寺町一帯には地図をおざなりに見ただけでも50、60の寺院・塔頭があり、その全てを巡ろうと思えば一日ではとても足りない。今日の我々も善導寺まで拝観した処で夕方の5時を回り、辺りが薄暗くなってきたので切上げた。
腹も減ったので、どれ、久し振りにキャナルシティで飯でも喰うかとそぞろ歩いて道すがら、櫛田神社の前を通りかかって参拝した。昨夜の太宰府と違いこちらはお祭でもないのに大した行列が出来ていて、さすがは博多の総鎮守。祇園山傘奉納の舞台だけのことはある。
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2011年06月18日

帰路

怒涛の上京二泊三日を終え、今はもう九州へと戻る新幹線の車内である。
怒涛、という言葉が相応しい。少なくとも気分には合っている。お目当てが黒百合姉妹のライブだけなら、しかもワンマンであればもっとゆったりとした、或いは厳かな面持でこの三日を過ごしただろう。だが今回は荒れ狂う対バン有り、更に前夜のさがゆきとどらビデオのデュオ(最終的にはトリオ)が輪をかけた暴れ馬であって、到底心静かに過ごせる訳がない。始終胸座を掴まれ揺さぶられながら、しかしそれは性的高揚すら覚える快楽なのだった。
昨夜も朝まで眠りにつけず、おかげで今朝は寝坊をしてしまった。幸い東京を発つ時刻に或る程度の余裕を見つつもチェックアウトを遅らせて貰っていた為、少々慌てながらも結果的に予定通りに宿を出ることが出来た。

梅雨空の重みを絶えず感じながら過ごす三日間だったが、昨夜の黒百合姉妹ライブ(WORN OUT MUSIC)前後には雨の止んでくれたのが幸いだった。しかし湿気は街中に充満して、さして気温が高い訳でもないのに少し動くだけでも汗だくになった。今日も昼過ぎまでは本格的な雨にはならず、東京駅のコインロッカーに荷物を押込むと歩いて銀座へ向かった。
帰路〜20110618壱
今度上京したら必ず寄ろうと思っていた場所―この三日間の最後のお目当ては和光のチョコレート・ショップである。このル・ショワというお店のチョコレートとマカロンは、過去の日記でも幾度か記した通り関東在住だった頃、私の最も好んだ甘味のひとつである。一昨年関東を離れる際も立寄り自らの手土産にと携えていったが、それからもう一年余り、いや二年近くも経つのだった。長崎には佐世保のハウステンボスにチョコレート・ハウスという専門店があり、店内で頂くチョコレート・フォンデュは確かに逸品だが、売物としてのチョコレートには必ずしも満足出来なかった。生チョコは美味しいが漏れなくアルコールが含まれているので、極度にお酒に弱い私には一粒だけでも酔いがきつくなるのだ。
ル・ショワの生チョコは、アルコールを含むものもあるが入っていないものも多種あって、その中でも殊にお気に入りのものが幾つかある。最後に訪ねてから大分経つし先の震災以後どうしているか、店自体きちんと営業出来ているのか行くまでは心配したが、辿り着き今も開店している様子を見てひとまず安心した。好きなチョコレートを二種とマカロンを二種類買い、再び歩いて東京駅へ戻った。
お気に入りの種類が無事あったことに感動したが、まだ食していないので味は当時の質を保っているのか、経年或いは震災等の影響を受け変ってしまったのかまだわからない。保冷をしっかりして貰ったので、このまま九州に持って帰って今夜にでも頂きたいと思う。
東京駅まで戻る道、時折ポツ、と微かな水滴が当たったが、傘を出す程ではない。だが新幹線に乗り動き出す頃になると窓のガラスを滝の様に伝う程激しく雨が降り始めた。
帰路〜20110618弐
東京から品川、そして新横浜を出る辺りまでは強い雨足が車窓を打ち、九州も雨だと相方から伝えられていたのでこのまま博多まで雨を見ながら過ごすのかと思っていたが、その先は降ったり止んだり。静岡から近畿に至るまではほぼ止んでいる様子だった。だが僅かな山あいにも霧の様な雲が低く垂込めて、今回は往きも帰りも内陸側の席を取ったが富士山はその裾野すら拝めなかった。三月に神奈川を訪れた際はその中日に晴天となり威容がくっきりと浮かび上がって見えたのが懐かしい。あれは相当な幸運だったのだ。
新大阪を過ぎると新幹線はトンネル続きとなり、殆ど景色も見えないまま時間が過ぎていった。偶に覗く空と街並が次第に黄昏れてゆくのをぼんやりと眺めながら、忍び寄る睡魔に意識が濁り始めた。

覚醒する頃新幹線は新下関を過ぎ、関門トンネルに差掛かっていた。トンネルを抜けると既に宵闇の訪れた港町の灯り。
博多に着き、迎えに来た相方と合流した。ここから今棲む町まではもうひと旅行。いや博多の夜街でもうひと暴れ。
帰路〜20110618参
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2011年06月05日

入梅?

博多夕景〜20110605
気象庁は本日、九州北部及び山口県が梅雨入りしたと見られると発表した、とのこと。
今朝未明ウェザーニューズより届いたメールでは長崎に雨雲が接近中と確かに記されていたし、今日ハウステンボスを訪れた人のツイートでも小雨の降る様子が呟かれていた。だが福岡の街中にいるとそんな実感の湧かない空模様。むしろ曇りがちだった昨日より良いくらいの天気である。

福岡滞在二日目。というより一泊しかしないので今日はもう長崎に戻るのだが、列車の時刻は夜遅めなので案外余裕がある。
チェックアウトの後、博多駅博多口に出来たばかりの大型ショッピングモール・博多シティで半日過ごした。九階の飲食街には東京から永坂更科が入居しているのでそこで昼食を。野菜天御前蕎麦というメニューがあるのの見てそれを頂いた。他の粗方の店舗が満席で行列が出来る中、比較的空いているのに戸惑ったが、関東風蕎麦の味は博多の人の口には合わないのだろうか。そもそも一般にはうどんが好まれる土地であり、蕎麦自体が余り尊ばれないのかも知れない。
生れも育ちも関東の私にとっては有難いことこの上なく、鎌倉に棲んでいた頃も時々麻布十番まで繰出しては永坂更科本店のお世話になったものだ。殊に真更な御前蕎麦とうどん並に太くコクと噛み応えのある生粉打蕎麦はいつもどちらを頂こうか迷うくらい、好物である。
博多風景〜20110605
腹を満たし、屋上から眺望を楽しんだ後は天神に向かい、昨日に続き風街喫茶店へ。福岡には数々の飲食店、喫茶室がある中一番落着けるのはやはりこの店だ。冷たいコーヒーを頼み小一時間寛いでから店を出て、天神駅ビルや隣接するソラリア、三越などをまた時間をかけて探訪した。
福岡市街といえば博多駅周辺、キャナルシティ、中洲と天神辺りまでは幾度か巡っているが、そこから郊外へはまだ殆ど足を伸ばしたことがない。僅かに福岡空港と能古島を訪ねたくらいか。あと動植物園にも一度行ったか。県内ということならば他にも久留米、大宰府、門司港、そして田川までは行ったことがあるが、まだまだ行きたい処は沢山あるものの仲々機会に恵まれない。いや、機会はあってもその手前、既に通った範囲内で充分満足してしまい、不意にしているというのが正しいか。

日暮れて夜を迎え、遅くなり過ぎないうちにと博多駅へ戻った。
博多夜景〜20110605
博多シティ屋上のつばめの杜広場には「ほたるの小部屋」という蚊帳の様な囲いをした小さなスペースがあり、五月下旬から六月中旬にかけては蛍灯が楽しめるという。日中訪れた時は見てもそれと気づかない程地味だったが、宵闇の中では遠目にも緩やかに明滅する幾条の光が確かめられた。明滅周期とその驚く程の明るさ、恐らくゲンジボタルに違いない。生まれてこの方蛍といえば父の実家の付近で見たヘイケボタルしか記憶になかったが、九州にはゲンジボタルの棲息地が数多くあるそうだ。
人工的な囲いの中で飛び交い灯る蛍達は如何にも窮屈そうで複雑な気分ではあったが、昨今棲息環境を次々と奪われてゆく野生の蛍が年々数を減らす中、保護を約束された彼等はまだましなのかも知れない。

暫く振りの福岡滞在だったが、前回訪れた時丁度来る道の途中で東日本大震災の報を受けたのだった。あれから三ヶ月近くが経過したが、被災地は未だ改善と呼べる改善が施されていない様子である。義援金の使途・分配等も全くなっていないとも聞いた。
国家規模の大地震であり国がきちんと方針を定め整理して行くのが筋であろうが、今のトップはただ「一生懸命やっている」と繰返すばかりで具体的なこと、役立つことは何もしていない様に見える。つい先日現首相への不信任案が提出され否決されたが、果たしてこれで良いのだろうか。不信任案提出に対し「こんな時に」と批判する声も聞かれるが、まともな対策を施さぬ挙句傷口を更に広げる有様ならばむしろ「こんな時だからこそ」案を持つ人を立てるべきではないのだろうか。
規模は確かに異なるが、少なくとも阪神淡路大震災の時、発生から三ヶ月経って無策のままということはなかった筈だ。自分の趣味以外に疎い私が何を云うと咎められそうだが、そのくらいのことは感じられるのだ。
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2011年03月27日

西へ

西へ〜20110327弐
僅かな間の関東滞在を終え、今日はもう九州への戻り道。
身内から有事を告げられ急いで駆けつけたが、思いの外明るい表情で迎えられたのが救いだった。問題が未解決のまま発つのは心残りだが、希望の持てる要素を確認出来たのが幸いだ。
元気づけるつもりで訪ねたこちらがむしろ励まされる始末だったが、身内殊に親と云うのはいつまで経ってもそんな存在に違いない。ただ子供の自分が見ても時に無防備過ぎて心配になる。
距離と時間の壁は大きいが、必ずまた来るよ、と伝えて関東を後にした。

発つ前に身内と同行した小田原城公園の片隅に一本、既に爛漫の花を咲かせた桜を見た。間近で眺めたかったが、そこは立入禁止の区画内。桜の周りには手入れされた植込みがあり、養分の巡りが他より良いのだろうか。
西へ〜20110327壱
今日は朝から快晴だったのに、城の天守閣を上り展望台から外を窺うと雪だか霙らしきものが舞っていた。箱根や丹沢など山岳が近く、天気が移ろいやすいのだろう。雪はやがて止んだが、来た道と同じく富士山は今日も見られなかった。却って昨日実家に足を運んだ時、頂に雲を被りながらも姿を見せた富士が印象深い。だが携帯のカメラで写すにはいささか色が淡く、眺めるだけに留めた。
西へ〜20110327参
陽の進む速度は最速の陸路より早く、関東を発った時はまだ頭上高く、名古屋でひかりとのぞみを乗継ぐ時も容赦なく照りつけたお日様が、広島に着く頃には地平近くまで落ち、夕闇が背後に迫っていた。
九州に戻るのは夜に、帰宅するのは夜半近くになりそうだ。
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2011年03月26日

古巣にて

関東滞在の中日。
昨日の夕方小田原に着き、付近で足止めを喰う身内と合流した。岐阜からは兄も駆けつけ、どんな形にせよ家族全員が顔を揃えるのは数年振りとなる。
足止めされた身内が今後岐阜に進むのか、それとも鎌倉に戻るのかが気掛かりだったが、訊ねると岐阜だと即答を得た。しかしまだ足止めが暫く長引きそうだとあって疲れの隠せない様子だが、久々の団欒は幾らか気持を和ませた様だった。

今日の午後、弟が実家に親からの頼まれ物を取りに行くというので同行した。大船までの車窓風景が妙に懐かしく映る。
大船に着くとすぐ、観音側の出口の外に建設中の高架通路が見えた。実家のある町はさほど変っていない様でいて、結構あちこち作り換えられている様だ。

実家の門を潜り扉を開けると、身内が出払って僅か数日というのに人の棲まなくなった家の匂いがそこはかとなく漂っていた。住人がいなければ家は瞬く間に錆びてしまうものだ。だが、すっかり引払った訳でなく取りあえずの疎開の為着の身着のまま出てきたとあって、生活の跡があちこちに見受けられる。嘗て私が寝泊りした部屋もほぼ当時のままに置かれていた。紫色のカーテンと紫色の壁紙。差込める陽射しはやや弱く陶酔する程その色は濃くないが、やはりここが古巣なのだと実感した。
古巣にて〜20110326壱
庭に降りると水仙がいっぱい咲いている。母が好み、毎年丹念に手入れして咲かせる花だ。今年も楽しみにしていたろうが、見ぬまま家を後にしたのかも知れない。桜はまだ蕾のまま。元々実家のソメイヨシノは余り元気がなく、2年程前に桜にありがちな病気に冒されていることを私が指摘して剪定してもらったのだが、その後を見守る時間もなく私自身が九州に移住してしまった。だが蕾が今年も膨らんでいる処をみると、生命力はしっかり養われているらしい。
庭の南東には私が物心ついた頃から植わる棕櫚が歳月と共にその丈を伸ばしていたが、ふと気づくとそれよりやや背の低い棕櫚が他に3本並んで立っていた。確か以前は1本だけだった筈。私が知らぬ間に新たに増やしたのだろうか、それとも毎年実る種子から自生して育ったものだろうか。
実家の様子をおおよそ確認し外に出ると、玄関先の紅梅がまだ花を残していた。隣の白梅と対で毎年咲き競い、散る後にたわわな青梅を実らせるのだが、今年はそれを摘む人が居ない。
古巣にて〜20110326弐
実家を出て少しだけ寄り道させてもらい、一昨年までのマイ桜のある公園に立寄った。
九州から関東まで来る昨日の道中所々開花した桜が見えたので、嘗てのマイ桜もそろそろ花の色を匂わせている頃だろうかと密かに楽しみにしていたのだが、先に観た実家のソメイヨシノと同様まだ幾分膨らみかけた蕾のままだった。
マイ桜だけでなくその公園に植えられたいずれの桜も、また周辺の他の公園の桜も同じで、実家の桜が殊に遅いという訳ではなさそうだ。
古巣にて〜20110326参
来た道とは違う道を通って駅へ戻った。隣町と古巣を結ぶ山道も、山道を抜けた先に広がる畑も当時のまま。だが5、6年程前に行われた撤去作業の後も残された古いモノレールの橋脚の一部は既に無かった。駅まで少し遠回りをしたが、これまで生きてきた中で最も多い時間を過ごした町だ。まだ薄れてはいないが時につれ変容しがちな記憶を正しく上書きし直す為に、より多くの場所を巡っておきたかった。
用があり今後も関東を訪れることはあっても、身内の棲まないこの町に次はいつ来られるか、今度こそわからないのだから。
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2011年03月25日

東へ

西へ〜20110325壱
今、新幹線に乗り関東へ向かっている。何年振りだろうと首を傾げてみるが、思えば一昨年の10月に元の住処を離れてから一年半程であり、その後一昨年の暮れに黒百合姉妹のライブを聴く為一度上京している。それから一年余りにはなるが、まだ気の遠くなる歳月ではない。
九州の西涯に居ても今はインターネットを覗けば関東初め余所の土地で行われる様々なライブやイベント等の情報が幾らでも手に入る。また懇意にしている楽士や舞台人達の幾人かはメール等で直接お知らせをくれるので、労せずして情報を最新のものに書き換えることが出来る。中にこれは是非行きたいと思えるイベントが少なからずあって、その度に出掛けるプランを練ってみるのだが実際は距離と時間の壁に阻まれ、大抵は見逃してしまうのだった。

しかしいずれはまた関東に出ることもあるだろうと呑気に高を括っていたが、ここに来て先頃発生した未曽有の大地震とそれに伴う大津波。実際沿岸部において壊滅的な被害を蒙った東北は元より、遠方にいると関東までも殆ど破壊されてしまったかの様に響く報道。
この地震と津波が福島にある原子力発電所にも打撃を与え、機能不全を引き起こした。当初はさほど心配する程ではないとされた放射性物質の拡散が徐々に進み、原発の周囲だけでなく数百q離れた都内の浄水場でも遂に放射性ヨウ素が検出され、それは成人にはさほど影響を及ぼさないと云うが、乳幼児にははっきりと健康被害をもたらす数値が出たとされる。福島や茨城の農作物等に与える被害も深刻で、供給の不足と需要の高騰が重なり食糧難も酷い有様と聞く。また、原発の故障は電力の供給不足も意味し、関東一円では計画停電も実施されているらしい。
西へ〜20110325弐
これだけ日々悲観に事欠かない話が伝わると、もう当分関東方面に行くこともないだろうという気分にもなるが、神奈川には実家があり震災の後も身内が住んでいる。勿論実生活で親しい友人達も多くは関東に住む。彼等の身を案じ幾人かに様子を訊ねると、停電や物資不足による不便さはあるものの、殆どの知人達からは元気でいると答えが返ってきた。但し大きな余震が度々起こる為、揺れてなくても揺れている様な感覚、謂わば地震酔いを患ってしまったと嘆く友人もいた。
身内は当面実家に留まりやりくりするつもりでいた様だが、岐阜に住む兄からしきりに疎開を促され、その気になったらしい。疎開の案は私も想ったが、岐阜はともかく高齢の両親に九州までは遠く、また正直な処二世帯が不自由なく暮らすには今の住いは手狭に過ぎる。兄の処ならば家も広く、また孫達もいるので何かと気が紛れるのではないか。
いざ今週初めに岐阜へ向かったが、その途上で有事が生じたと身内から連絡があった。結局岐阜へは未だ行かれず、実家にも戻れず、神奈川の西で立往生しているらしい。私が駆けつけた処で事が鎮まる訳でもないが、じっとしていられなくなったのが正直な処だ。

先の年末年始に京都までは移動したが、その先は一昨年の暮れ以来。久々の関東なのであちこち巡りたい処はあるが、身内の用に添うだけで今回は時間が過ぎるだろう。
列車で長距離を移動するのは思いの外体に負担がかかることを今更にして知った。遊びで遠出する訳ではないので心理が働きかけるものもあるだろう。今は到底爽快さからは程遠い気分だが、帰る途では幾分かでも晴れ晴れとした想いに浸れる様であれば良い。
西へ〜20110325参
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2011年02月09日

長崎にて

ランフェス〜20110209壱

長崎にて、灯りの宴。

ランフェス〜20110209弐
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2011年01月05日

卯年新春の京にて・まとめ

年初の挨拶以来音沙汰を怠けながら過ごしていたが、京都には四日まで滞在した。
心配した元日の天気も午後までは保った。当初は大抵の年の様に元日鞍馬に行くつもりでいたが、大晦日街中でもさんざん降った雪は鞍馬に登れば尚更だろうと思い、過去雪の降った年のことを思い返してひとまず行先を違えた。
狛兎〜20110101
今年の初詣は岡崎神社へ。その後東山の南禅寺を巡った。
岡崎神社は左京区の東天王町(丸太町通り)にある小じんまりとした社だが、特筆すべきは今年の干支・兎に縁を持つという点だ。嘗てこの一帯は兎の多く棲む場所であったらしく、氏神の遣いとして祀られる様になったと云われる。境内には手水舎の水口から提灯の絵柄、随所の彫物、御守や御神籤など様々なものに兎の型が施されている。狛犬ならぬ狛兎に招き猫ならぬ招き兎まであるが、こちらは見るからに新しそうだと思ったら案の定、今年の干支に先駆けて昨年登場したばかりの「新顔」だそうだ。縁とは云え殊更新調してまであやかるというのはどうなのだろうと正直思わないでもないが、阿吽を顕した狛兎は参拝客に殊の外好評の様で周囲には常に人だかりが出来ていた。その恩恵か否か、岡崎神社の前はこれまで幾度も通りかかり一度お参りしたこともあったがこれまでついぞ見たこともない程の長蛇の列が続き、最後尾に並んでから本殿で柏手を合わせるまでに小一時間を要した。因みに境内には狛犬も別にきちんとある。
岡崎神社に着いた時点では晴れていた空も参拝を済ませて出る頃には曇り、そこから歩いて南禅寺に辿り着いた時には小雪が舞い始めた。先に小枝に積もり、昼の暑さで溶けかけた雪が時折、自らの重みに耐えかねて落ちる。岡崎神社でも同じことが起きていたが、南禅寺は境内が広い分あちらでもこちらでもドサッ、ドサッとその音がこだまし合い、時折それが頭上の枝からも降ってくると思わずヒャアと声を上げてしまう。南禅院へ向かう辺りは足場も悪く、場所によっては慎重に一歩を踏まねばならない処もあったが、以前訪れた時は下から見上げたことしかなかった水路閣を脇の段を上り覗くと、清らかな流れが何処へと連なっていた。
南禅寺を後にして、当てもなく地下鉄に乗り適当に烏丸御池で降りて三条から四条へ、京極から途中河原町通りに出てまた三条へとそぞろ歩くうち、元日は暮れた。

二日は宇治へ。年末に偶々見たテレビ番組で各地の「うさぎスポット」について紹介していたが、京都では先の岡崎神社と並び宇治神社も取上げられていた。
宇治も鞍馬等と同様、京都を訪れるとしばしば寄る処のひとつで、殊に初めて訪ねた折には付近の宇治上神社や放生院、対岸の平等院等と共に巡ったが、その頃はここが「うさぎスポット」であるなどとは知りもしなかった。だが宇治は菟道(=うさぎのみち)とも書く様に古から兎の生息地であったらしく、宇治神社がというよりはまず宇治そのものが兎と縁のある土地だったらしい。
こちらは岡崎神社と比べると「うさぎスポット」であることを社自体が声高に謳っていない所為か混み具合もやや控え目だが、それでも境内には普段より長めの列が出来、手水舎にはこちらも兎像が鎮座していた。見返りうさぎみくじという御神籤が人気があるらしく、少し出遅れて行ったらその日の分は既に完売していた。
宇治神社の先にある世界文化遺産の宇治上神社も「うさぎスポット」だと紹介するサイトがあり今回改めて足を運んだが、こちらでは少なくとも表向き兎を象ったオブジェの類は見つけられなかった。強いて云えば社内で販売している紙人形や絵馬の絵柄に兎が用いられているものもあるが、それは常にあるものなのか、或いは今年の干支に合わせて作られたものか定かではない。
宇治神社、宇治上神社とお参りした後は宇治橋の袂にある茶店・通園で茶蕎麦と煎茶・茶だんごのセットを頼み、少々早いが夕飯にした。宇治に来たついでに三室戸寺まで足を伸ばしたかったが、時間が足りずまたの機会に。西国三十三所の十番札所であるこの寺の、さして険しくはないが街からは奥まった閑静な佇まいと杉木立の風情は好ましい。

元日に行きそびれた分三日には鞍馬に行きたいと思っていたが、今回の滞在中この日は結局一番「寝正月」のスローガンを叶えてしまった―いや、メトロ紅白歌合戦の後の大晦日程ではないだろうか。
取りあえず出町柳までは行ってみることにしたが、到着して到底鞍馬を歩き切れる時間ではないと察し行先を変更して近くの下鴨神社へ。下鴨へ詣でたら上賀茂神社へも参りたいが、それも少々時間が心許ない。境内は下鴨が広いが、上賀茂の佇まいにより心惹かれる。結局この日は余り熱心な史跡巡り等はせず、夕方からは四条祗園に赴き河原町辺りまでの賑わいに紛れて夜半近くまで過ごした。

三賀日も明け、四日は帰りの日。
いつもなら帰路の道中のスタミナを考え余り動き回らずに過ごすのが常だが、今年は違った。三賀日に果たせなかった鞍馬参りをしておきたい気持が殊の外強かったからだ。
元日夕にまた幾らか降ったとはいえその後の晴天と日中の汗ばむ様な気温で街中の雪はごく一部を除きほぼ溶けてしまったが、山間部はやはり寒さが厳しいのだろう。陽射しも仲々行き亘らない処がままあり、雪がまだたっぷりと残っていた。高木の上枝は陽が当たり易い所為か殆ど冠雪は見られないが、幹の中腹から地面にかけては留まる雪が多く見られた。
出町柳から叡山電車に乗って鞍馬まで、すし詰めではないものの三賀日を過ぎてもそれなりに参拝客がいるのは心強い。殆どの人は駅を出て真直ぐ山門へと向かっていたが、我々は門前の雍州路に寄道をした。鞍馬に来れば毎度ながら、ここで腹拵えである。
精進膳〜20110104
店内は思いの外空いていたが、我々の後で入店してくる客も幾組かあった。嘗て、初めて鞍馬を訪れてから暫くこちらでは蕎麦ばかりを頂いていたが、相方と共に正月に訪れることが多くなってからは精進膳を頂くことが主になった。お節のない旅先でのお節代りでもある。
鞍馬寺の境内は山門から由岐神社までの急斜面に積もった雪が凍結している様に見えたので、登りはケーブルカーを利用した。
標高が増す程雪が深くなる様で、金堂の前には今も掻揚げられた雪が小山の様に盛られていた。だがそれでも半分以上は既に溶けているらしく、予定通りに元日か二日頃に来ていたらどのくらいの雪が積もっていたのだろうと思う。その先は足場が更に悪そうで、貴船神社を巡るのはこの正月も断念した。
下山の際相方はケーブルカーで、私一人徒歩で下ったが、途中想像通りに踏み固められた雪が凍り滑り易くなっている箇所が幾つもあった。由岐神社の参道は脇に階段を設えた側道がありそちらを歩けば比較的楽だったが、待合せのケーブルカー出口まで辿り着いた時には久々に「膝が嗤う」という感覚を思い出した。
手水舎の龍〜20110104
年が明けてからの京都は、日中は比較的温暖だったと思う。日暮からは途端に冷込むことが多かったが、帰りの日はまだ冷切る前に京を発った。
博多で新幹線から在来線に乗継ぎ、みどりの最終列車に乗ると何故か終着手前で臨時停車。「異音を感じた」とのことだが、結局原因がわからぬまま約27分の遅れで佐世保の駅に到着。降立ったホームに吹く風は京都より寒かった。
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2011年01月04日

帰路

帰路〜20110104

往く客、来る客を乗せた列車が行き違う駅の風景。
諸々の期待と疲労を運びながら。
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鞍馬にて

鞍馬にて〜20110104

帰る間際の鞍馬参りに、
花精進膳が染みわたる。
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2011年01月03日

祗園にて

祗園にて〜20110103

本日の昼げ―「百合根蕎麦」。
「餡掛け」には面喰った。
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2011年01月02日

宇治神社にて

宇治神社にて〜20110102

水場にて、菟がお出迎え。
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2010年12月30日

京都へ

年の瀬も押し迫り、残す処今年もあと二日となった。
師走の後半は思い当たる確かな理由もないままばたばたと、しかし気分的には何処かぼんやりと過ごしていて、気がついたら此処まで来ていたという感じだ。毎年何かしらはしゃぐ場に参加するクリスマスも今年は殊に何処へ行く訳でもないまま見過ごしていたし、いつも慌てる破目になる年賀状を今年は余裕を持って作成しようと思っていたが、それもつい一日二日程前になって漸く腰を上げ突貫作業でどうにか年内に辛うじて間に合わせたといった具合である。それも始終余所見をしながらの作業であったので、見映えの不出来以前に深刻な誤りやら刷り忘れだのがありそうな気がしてならない。
昨夜はそれでも、年内に家で済ませておきたいことは粗方終えて旅行の荷物の最終チェックなどをしていた。年末年始はこの冬も例年通り京都で過ごす。
京都へ〜20101230壱
この月後半は天候の落着かない日が多く、偶に晴れても長続きしない。昨日は数日振りに晴れ亘ったが、日付が移り未明になると厚い雨雲に覆われやがて激しい雷鳴と雨音が響いた。その雨は夜が明けてからも断続的に続き、午過ぎには時折霙が混じり始めた。最近発表された長期予報によれば、今年の年末年始は大荒れとなる可能性有とのこと。殊に日本海側は要注意だそうで、長崎も県北は日本海に面しており強い低気圧の影響を少なからず受けるのだろう。
今夜から京都に滞在するが、今日は観光等を考えず移動だけの日として午後になってから家を出た。但し夜半過ぎに外出し、昨年同様丸太町のクラブ・メトロに行き「紅白歌合戦」(注※某公営放送が毎年大晦日に催している同名の歌番組とは別物)を観る予定。尤もあくまで体調と気分次第である。
今回の旅行のスローガンは「京都で寝正月」―毎年そうでなのではないかと指摘されれば返す言葉もないが、迂闊に詰込み過ぎて疲労困憊の正月明けを迎えるよりはのんびり過ごしたい。だが旅行気分も味わいたい。正直贅沢な話である。しかし予報通りの荒天が京都市街地にまで及べば恐らく出歩くのも億劫になって、文字通り旅先での寝正月を送ることになりそうだ。
京都へ〜20101230弐
自宅から佐世保駅へ向かう途中、天気は目まぐるしく変化して雨から霙、霙が雪になったかと思えば晴れ間が覗いて濡れた路面を眩しく照らしたり、その日が翳るとたちまちまた小雨が落ちてきたりとまるで百面相の様な空模様。十年程前、いや更に昔友人を訪ねて金沢を訪れた時のことを思い出した。その年は元日から三日まで金沢に滞在したが、着いた日は上着の要らない程温暖で天候にも恵まれた。だが二日目は10℃余りも気温が下がり、雨、霰、霙、雪と晴れ間が数分ごとに入替る忙しい天気となった。帰る三日は幾分落着きを取戻したが、気温は前日に増して低く、無彩色の雲がどんより垂込める北国の冬らしい空だったのを覚えている。
佐世保から博多へ、特急「みどり」の車窓から眺めた景色は区間により、雨もしくは雪の降りしきる風景だった。博多が近づき、遠くの山並が薄らと白化粧を施していたのは降ったばかりの雪か、それとも数日前に福岡で大雪と聞いたその名残だろうか。「みどり」は予定時刻を5分程遅れて博多に到着したが、遅延の原因は混雑だけでなく或いは天候の所為でもあったかも知れない。

博多で新幹線に乗換え、小倉を過ぎて本州に入ると九州の荒れた空とは違う晴天が広がり出したが、やがて陽が沈み宵闇が窓を覆って点々と灯る街明りの他は外の様子も見えなくなった。
福岡までは先日も足を運んだが、九州を出るのは昨年の年末年始以来およそ一年振りになる。年末ラッシュの著しい時期であり混み合った列車に乗るのも恐らくそれ以来だろう。久々の長距離の移動を前に気後れを覚えながらも気がつけば新大阪を出て京都間近。そしてどうにか無事に辿り着いた。いつぞやの長崎本線で見舞われた乗物酔いを警戒して今回はあらかじめ酔い止め薬を飲んでおいた所為か副作用で普段以上に睡魔が押し寄せ、道中幾度かうとうとしていたこともあるが旅をしてきたという実感に乏しい。外の見えないエレベーターで或る階から別の階に移動した時の様な、機械的な感覚だ。ぼんやりした気分もまだ残っているが、うたた寝のおかげで幸い幾分回復してきた。
京都へ〜20101230参
今宵から新年四日まで京都に滞在の予定。
その間も携帯端末を主にこちらに度々ログインはするだろうが、かなり(いつもに増して)おざなりになってしまうであろうことを今からお断りしておく。
posted by 紫乃薇春 at 23:39 | Comment(0) | 旅記(仮)

2010年12月11日

長崎/夜景と夕景

長崎・雨の夜景と彼杵の海の夕映え。

夜景〜20101211
足場はやや低いが、あながち見劣りしない街明り。

夕景〜20101211
惜しむらくは曇りがちの空。
今少し陽が落ち且つ、雲が散りさえすれば。
posted by 紫乃薇春 at 23:51 | Comment(0) | 旅記(仮)

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