2008年02月16日

【演劇】E-Pro『よくないこと』【ネタばれ】

三寒四温の四の字が嵌る週末。午過ぎに一度「突然の雨に注意」というウェザーニューズからのメールが届いたが、立体的な雲が遠くに幾つか浮かんではいるものの結局は晴れた。消し忘れた暖房の所為もあるが、室内にいると汗ばむ程だ。
今夜は江古田に行き、E-Proという処が企画する舞台『よくないこと』を観に行く。40〜50分程の短い芝居で入場無料。2年程前に知合った劇団ク・ナウカに所属する片岡佐知子が出演するというので、その伝手で今回の公演を知った。ク・ナウカは昨年2月の『奥州安達原』を最後に劇団としての活動を休止しており寂しい限りだが、今回ク・ナウカを離れた場所における片岡佐知子の演技が観られるのは恐らくまだ知らぬ面を知ることになり楽しみである。勿論、芝居自体を楽しみにしている。
開場に充分間に合うつもりがいつもの如く出遅れてしまい、開演予定の19時にぎりぎりになりそうだ。行き馴染んださがゆき等多くの音楽のライブと違い、芝居の場合は開演予定時刻に忠実に始まることが基本なので迂闊にも遅刻の惧れがある。
一分、いや三十秒でも良いから始まる前に入場出来ることを祈る。

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江古田・ストアハウスにて、E-Proによる芝居『よくないこと』を観賞。

演出:
 中野成樹

出演:
 中村彰男
 山本郁子
 ゴウタケヒロ
 片岡佐知子

この演出家による演出は同じ期間の同じ芝居でも回を追う毎に変ってゆくらしいので、全てを知ろうと思ったら全日全公演を観なければなるまい。「芝居は生き物」であることを端的に顕している様で興味深いが、生憎そんな時間は得られないので今日観られた舞台のみ。だが感想を書くにはそれで充分な筈だ。実際は明日まで公演が続くので「ネタばれ」ということを考えると何処まで書いて良いのかわからない。しかしどのみち私の薄識では大したことは書けないので適当に、不足な点は御容赦頂きたい。
小劇場独特の匂いのする舞台には一見シンプルだが巨大なセットがひとつ。中央には木製の扉があって、その両脇は出張り、石?だかコンクリート?らしき壁になっている。この日の流れ―芝居をまずやり、その後二部に分けたトークショーを行う旨をアナウンスする間にセットの前には男が一人登場。フェードインする様に芝居は始まっていた。
芝居は一幕四場。最初、セットは何らかの建物を表していることはわかったが、それが何かがわかったのは開演後数分経ってから。だが木製の扉のやや上部にやはり木製の小さい小窓がついているのが見て取れたので、その時点で気づいても良かった。
男がものぐさそうな動作で立上がった後に台詞を発し、それは呼びかけの言葉であるのだが、幾度目かで壁の向こうから女の声が返ってきた。暫くセット越しに噛合っているのかいないのか定かでないやり取りが続き、出演者は4名となっているが初めの男以外は全て声のみの出演かと思ったくらいだが不意に壁の向こうから別の男の声が聞こえた処で暗転。セットを180度ぐるりと裏返した。
セットの裏面は正にそれまで客席から見ていた「部屋」を外側から見たものであり、このセットが二次元のハリボテでなく三次元の実質を伴うものであることがわかる。だが、これまでは「部屋」の中に客席がある形で男の立場を客が同時に追体験する臨場感をもたらしていたものが途切れ、観客はあくまで観客であるという疎外感を生む原因にもなってしまったのがやや残念。しかしそれも演出の狙いか。
第二場はセット反転前の別の男が登場する処から始まり、その反復が場と場の切れ目を貼合せる接着剤の役割を果たした。それは二場から三場、三場から四場への場面転換でも同じ手法が用いられた。第一場では声のみの出演だった女と二人目の男が手前に登場。逆に最初の男がセットの裏に回って声だけの出演に。第一場同様第二場も埒の開かないやり取りが交わされる。二人目の男が一度立去り再び戻ってきた処で三場に移るが、ここで遂にセット中央の扉が開かれる。良く出来たセットだが、同時にセットで分断されたこちらと向こうの世界が三次元で繋がり、交錯するきっかけともなる。
第三場。「部屋」の中が手前に戻り、向こうの世界から二人目の男が侵入してくる。それまでは会話をしている風でいて実際は行来のない独り言が偶々シンクロしていただけとも取れたものが現実に関連し合う事実が突きつけられる。会話は相変らず取りとめがない様でありながら次第に歯車が合ってくる。だが噛合う先は奈落の様だ。「よくないこと」―このタイトルを開演前からずっと脳内で考え続けていたが、それはこの芝居の主題であると同時に、決してそれに縛られ惑わされてはいけないのだと云い聞かせていた。縛られてはいけないが、「よい」か「わるい」かで観た場合、「よくない」ことが絶えず話を支配しこの先も起こりそうな気配を見せている。
二人目の男が腕に下げた紙袋から或る物騒なものを取出し空気が緊迫感を帯びた処で、仲々登場しなかった二人目の女、最後の人物の声が壁の向こうに響く。ここで暗転。最終四場へ。
噛合い始めた会話が険しい動きを生み、穏やかでない出来事が起こるが、それは向こうに回った「部屋」の中で行われる。観客には何が起きたのか、台詞から察しはつくが本当の処はわからない。二人目の男と二人目の女が去った後、最初の女がこちらから向こうへ、扉を開けて入ってゆくがそこで交された出来事も台詞からしかわからない。そして女が向こうからこちらへ、扉を潜って戻る処で芝居は終了。
時間の経過に伴う話の流れはあるが、はっきりした結末は語らない。所謂「オチ」がない。ルイス=ブニュエルの『昇天峠』や『砂漠のシモン』等の映画を私は思い出したが、これらは作者が望んでそうした訳ではなく予算の都合で結末を撮れなかったことが結果として不可解な余韻を生出すことに成功した例であり、演出家の意図として「最後」を描かないこの芝居とは成立ちも意味合いも異なるだろう。ただ、パズルのピースは全て用意しておいてその仕上げは観客に委ねているという処で同じ様な手応えを感じた。そうした芝居、或いは映画の在り方が良いか悪いかはわからない。ただ、私事で恐縮だが以前文章を書いていた時に、同様に「時間の経過による話の流れ」だけで「オチ」は書かないことを好んでいたこともあり、あくまで主観だがそこに通じるものを感じた。

芝居の後は日劇の藤崎周平氏、現在は気象予報士として有名(?)な木原実氏、そして演出者・中野成樹氏によるトークショー。実際はその大半が木原氏のワンマントークという有様だったがこれが本編の芝居に勝るとも劣らず面白く、とても入場無料とは思えぬ充実した時間を過ごした。小休憩を挟み場所をホールからロビーに移して2本目のトークショーが行われる筈であったが所用により私はそこまでで退出。その後どんな話が展開されたのだろう。

この舞台は翌2月17日(日)15:00の回が残されており、再度観に行きたいのは山々だが私の生活習慣では間に合うまい。
尚、この芝居には原作があるそうで(ウィリアム=サローヤン『おーい、救けてくれ』)、中野氏がトークショーにおいてその大まかな筋をさっと述べたが実にシンプルでわかり易い内容であった。
posted by 紫乃薇春 at 22:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇

2007年10月09日

ソロマイム「上海太郎のWANTED ―指名手配―」

上海太郎ソロマイム〜20071008
2007年10月8日(月)
新宿 タイニイアリス

果たしていつ以来だろう、10年振りくらいかも知れない。実に久々に上海太郎氏のソロマイム「WANTED ―指名手配―」を新宿・タイニイアリスで堪能した。いやかつて観たのは劇団上海太郎舞踏公司として、また上海太郎一人舞台と銘打たれた芝居も一度観たがその時は劇団団員等の助演があったので、完全な一人芝居はこれが初めてになる(場面毎のタイトル出しとして室町瞳が参加)。
同芝居は明日もあるのでこれから御覧頂く方にはネタばれの惧れがあるが、詳細を伝えようにも拙いことしか書けないということで御容赦頂きたい。

上演時間は約1時間15分、全部で十のプログラムで構成されている。

01 金庫破り
02 食い逃げ
03 露出狂
04 連続放火少年A
05 スリ
06 この写真の男、知ってますか?
07 すり
08 露出狂II
09 殺人鬼/多重人格
10 指名手配

一見シンプルに題目通りのネタを見せる様でいて、実はずれた、いやずらした角度からテーマを掘下げその為に普段は気づかない日常の狭間にさえ落し穴を探ってしまう。そんな芝居。その穿ったスタイルは昔も今も変らない。だがマンネリではなく常に新たな局面、磨かれた表現を追求する姿勢が感じられる。
最初の「金庫破り」で上海が演じているのは金庫破りの姿だが、天の声の語りを聞くうち実はそれがモニターに映し出された犯人の表現であることを匂わせる。かつてドジョウ鍋の芝居があったがそれを彷彿とさせる二重構造である。「食い逃げ」「露出狂」はそうした多角性ではなくそれぞれのオチに笑わずにはいられないひねりが効いているが、「露出狂」は上海太郎のダイレクトに客席に「攻める」芝居が見られて一段と面白い。幸い(?)私は「犠牲者」にはならなかったが、もしこちらに向かってきたら…すぐさま反撃のネタを考えていた。
「連続放火少年A」は途中ノスタルジックな回想シーンが描かれて、上海太郎の前衛一辺倒に依らない叙情性を垣間見ることが出来る。
「スリ」は「食い逃げ」「露出狂」同様オチに注目。続く「この写真の男、知ってますか」はちょうつがいの様だ。前半に登場した人物が一枚の写真を巡り現れては去ってゆく。まだ見ぬ人物も登場するが、彼等は後半のキーマンとなってゆく。
「すり」は前半の「スリ」と平仮名、片仮名の違いをどう込めたのだろう。これは謎だった。人物も「スリ」とは異なる風体。この場面の深層も今ひとつ探り切れぬままに過ぎた。
「露出狂II」はふたつの場面に別れ、「機内飲料編」と「機内食編」。「機内飲料編」のあっさりとしたおかしさが、この芝居全体の一服取れるシーンだった様に思う。長々と凝った芝居ばかりでなくこうした息抜きがより滑らかに芝居を活かすのだ。因みに「機内食編」ではこの日唯一上海太郎が舞台の上で「台詞」を発した。それは笑いを誘うには充分であったが、マイムの表現としては疑問の余地がある。
「露出狂II」の人物が前半の「露出狂」と同一人物であるかどうかはわからない。だがこの辺りから各シーンの繋がりを感じ出す。次の「殺人鬼/多重人格」は一種の心理芝居だが、繋がりはより密度を高めてゆく。
そして終章「指名手配」。短編集の様なこの「WANTED」という演目の各場面を走馬灯の様に駈け巡らせてゆく。が、それは本当にそれだけか?実は時系列に沿ったれっきとしたストーリーではないか?この芝居の登場人物は実際は何人なのだろう?
上海太郎のマイムはやはり一級。深く考え抜かれた構成にその身振り表情が生命を与える。ソロマイムという形でより高い純度でそれを堪能した一方で、劇団としての芝居をまた観たいとも思う。
今回は裏方として唯一芝居中に客前に立った室町瞳。黒子としての立場なので本来は目立つべきでないのかも知れないが、シーンタイトルを書いた板を抱えて佇むその存在感はただ者ではない。次はまた以前の様に演者としての彼女を観たいと思う。

芝居がはねて、室町瞳と久し振りに話す機会を得た。演者として、また劇団としてやりたい想いは自身もあるが難しい台所事情のあること、お互いの共通の友人の近況等を聞くことが出来た。
関西が本拠ということもあり仲々その舞台に接する機会が得られないこの頃だが、是非また上海太郎、室町瞳共に舞台の上での姿を拝みたい。



(出先にて携帯投稿の為、後刻編集予定)
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2007年02月24日

(ネタばれ)ク・ナウカ公演「奥州安達原」(仮)

ク・ナウカ〜20070224(1)
受付の後近所を少し散歩して会場に戻ると、開場時刻にはまだ間があったが既に入場を開始していた。過去の公演と異なり今回は全席指定の為、それが許されたのだろう。早めに席に着き、開演を待つ。ふと場内を見回すと、案内係の一人に今回は出演しないク・ナウカの看板俳優・阿部一徳氏の姿が見えた。
開演予定は19時30分だが、遅れて到着した客がかなりいた為か、約10分押し。
案内係の一人野原有未が客席の通路段を降りながら、そのまま語り部を担って舞台が始まった。暫く語り部による舞台背景説明が続く。今回は題材、台詞回し等に特殊な点がある為内容をわかり易くする為の演出でもあろうが、この導入はいささか長過ぎた様にも感じられた。筋を追わなければ芝居が見られない人には親切な手段とも取れるが、「音」と「動き」の分離と再結合そのことで力を持つク・ナウカの手法には蛇足ではないだろうか。だがその語りもあえて意味を追わずリズムを成すものとして捉えれば無駄にはならないか。
語りが続く中、岩手役を初めとしたアクターとスピーカー数人が登場し、演者の大半を占める楽器演奏者はその更に後に登場。普段はスピーカー、もしくはアクターを勤める吉植荘一郎氏が演奏者の中に居たのはいささか驚きだった。
その後、大掛かりな仕組の舞台の左右にスピーカーを配置、演奏者は舞台の手前下に並び(丁度オペラのオーケストラボックスの様に)音声が立体的に響く中でアクターの動きが繰広げられた。正直な処、今回の演目「奥州安達原」について専門的な知識は私には全くない。近松半二による人形浄瑠璃の代表的な演目のひとつというが、古典的な浄瑠璃での上演に接したことは一度もないし、大まかな筋書きについても直前になってnetにて簡単に読んだだけである。先に仄めかした様に、生駒及び恋絹はまだしも安達原に棲む者の台詞は方言を生かしたオリジナルと云い、聴いていても僅かな単語を除いては殆ど意味がわからず、従って台詞=言葉から内容を掴もうとすれば迷子になりかねない有様であった。実際には声の抑揚、身振りなどから察しはついた。先の予習の成果も多少はあったのかも知れないが、むしろ一切の予備知識無しで臨んだ方が純粋に演出と演技、仕掛けの妙にいちいち唸らされたかも知れない。
とはいえ、言葉では筋書きを追えなかった様にこの芝居のこと自体、言葉でどう表したら良いものか非常に悩む。ク・ナウカの芝居はいつもその充実感と裏腹に失語症に陥る自らの拙さを感じるが、今回は殊にそれが如実だ。ただ、大仕掛けの舞台とそれが生きた演出、演者達の力量は素直に凄いと感じたし、大真面目でありながらそのかさばる舞台衣装故に入退場の際コミカルなカニ歩きを強いられた貞任役には思わず笑えた。破天荒。終演後にお会いした演者の方の仰云った言葉だが、これまでの破綻のないク・ナウカを見慣れた目には相当な冒険を賭していることも確かに感じられた。我国の古典芸能(元は雅楽)で使用される「序破急」という言葉があるが、今回のク・ナウカは長大な「序」を供した後に割いた時間は短いものの極めて濃密な「破」そして「急」が訪れる。退屈してもおかしくはない前半の流れだったが、終盤気づくと目頭が熱くなっていた。ほぼ正方形の舞台の左手前角、右奥角の対角線に沿って溝が設けられいわば奈落になっているが、岩手役の美加理を初め数人のアクターがクライマックスの一場面で溝に飛降りるシーンがあった。リスクを伴うそうした決定的な動作もこれまでは控え目であったものが今回は積極的に行われている。

演目が終り、カーテンコールの際最後に退場した美加理がいつまでも客席に向かい手を振っていたのがしんみりと印象に残った。この公演を以てク・ナウカとしての(国内における)活動は無期限停止となる事実を承知している故か。
義の通ったレビューを記そうと試みるも支離滅裂となったこと、悪しからず御諒承頂きたい。

ク・ナウカの公式サイトに掲載された今公演の概要を以下に引用しておく。

「奥州安達原」
 2007年2月18日(日)(学生限定プレビュー公演)
 2007年2月19日(月)〜27日(火)
 文化学園 体育館 特設舞台

出演
 美加理
 吉植荘一郎
 大高浩一
 野原有未
 萩原ほたか
 寺内亜矢子
 本多麻紀
 大内米治
 片岡佐知子
 鈴木陽代
 桜内結う
 星村美絵子
 加藤幸夫
 牧野隆二
 赤松直美
 奥島敦子
 大道無門優也
 山本智美
 池田真紀子、
 石川正義
 本城典子
 塩谷典義
 高澤理恵

スタッフ
 台本・演出/宮城聰
 照明/大迫浩二
 空間/木津潤平
 衣裳/高橋佳代
 音響/AZTEC(水村良、千田友美恵)
 ヘアメイク/梶田京子
 演出助手/大西彩香
 小道具/中里有
 舞台スタッフ/司田由幸、山縣昌雄、森山冬子
 舞台監督/岩崎健一郎
 テクニカルスーパーバイザー/堀内真人
 宣伝美術/野口美奈子
 WEBデザイン/井上竜介
 制作/大石多佳子

ク・ナウカ公式サイト
 http://www.kunauka.or.jp/
posted by 紫乃薇春 at 23:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇

2007年01月13日

【予告】劇団ク・ナウカ公演『奥州安達原』

本日1月13日(土)は、ク・ナウカの公演『奥州安達原』のチケット発売日である。
黒百合姉妹Live等ごく一部の公演情報を除き事前の予告記事など滅多に書かない(そうでもないか?)私であるが、今回ク・ナウカのこの公演予告を取上げたには訳がある。
1990年の旗揚げ以来同劇団を率いてきた主宰の宮城聰氏が今年四月より静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術総監督に就任することが以前より伝えられていたが、それに伴いク・ナウカの俳優達は「ソロ活動期間に入る」とのこと。実質的な活動停止となる。即ち今回の『奥州安達原』がク・ナウカとしては少なくとも当面の、或いは殊によると本当の「見納め」となってしまうかも知れないのだ。
正確な時期は忘れたが、浅草のアサヒ・スクエアA(屋上に巨大なウ○コ…ではなく雲?のオブジェのある建物内のホール)にて『王女メデイア』で初めて彼等の舞台に触れて以来、宮城氏の独特な演出方法に心を奪われてきた。また同時に「アクター」及び「スピーカー」を司る劇団の俳優達自身の魅力にも憑かれた。その両者あってのク・ナウカであり、四月以降、宮城氏の演出作品はSPACで観ることが出来る様であるが、そこにク・ナウカの俳優の姿を見出せなければ今の私にとっては両腕を左右から引張られ捥がれる様な苦しさ、口惜しさを禁じ得ないということなのだ。同時に俳優達個々の活動を観ても、ク・ナウカという母船から糸の切れた凧の様に頼りなく見えはしまいか。
それはあくまで先入観であり、安穏とした「枠」に留まらず進化し続けようとする宮城氏また俳優達の気配に「生」を感じられるならそれが良いのかも知れない。だが先のことは知らず、今回のこの『奥州安達原』はやはり何が何でも観ておかねばならないだろう。

チケット発売は本日午前10時より、ク・ナウカのサイト、電子チケットぴあ、e+(イープラス)にて取扱。
また電話による受付はク・ナウカ 03-3779-7653、チケットぴあ 0570-02-9988(オペレーター対応) 0570-02-9966(音声自動応答 Pコード:374-438)。


公演詳細

ク・ナウカ『奥州安達原』
会場:文化学園 体育館 特設舞台

2007年2月18日(日)※学生限定プレビュー公演
2007年2月19日(月)〜27日(火)

開演19時30分(開場は15分前より)
上演時間:約90分(休憩無し)

一般:6000円 ※全席指定
ユース席(25歳以下):2500円

今回のこの日記はあくまでも私自身の覚書として書いた。だがこれを読みク・ナウカの(当面最後の)舞台に出会える方が一人でもいらしたら、それは幸運である。

 ク・ナウカ 公式HP:
 http://www.kunauka.or.jp/

                      
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さて、今夜は横浜・エアジンにてさがゆき(Vo)Ad Peijnenburg(Sax)Satoshi ueda(弦)による、アルバム『蘭楽』のレコ発Liveがある。比較的自宅から通い易く、興味深くもあるので聴きに行こうと目論んでいるが、体調はどうか。
同じ顔触れで明日(1/14)は江古田でもLiveがあるが、そちらに行くかどうかは今宵聴いてみて決めたいと思う。
posted by 紫乃薇春 at 16:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇

2006年07月30日

劇団ク・ナウカ『トリスタンとイゾルデ』公演楽日(仮)

『トリスタンとイゾルデ』(仮)
梅雨明け宣言が出されたものの怪しい雲行きの下、上野の東京国立博物館でク・ナウカによる『トリスタンとイゾルデ』その最終日の舞台を観た。
美加理を初めとする「動き」の役者がふんだんに「声」を宿した前回の『オセロ』と異なり、今回は通例?通り「声」と「動き」を二人一役で行う形式が採られた。途中一部美加理他「動き」の役者が「声」を発した様に聞こえたが、『オセロ』で培った柔軟性の賜物であろうか。音声による躍動感を与える演出の一手であったかも知れない。
『オセロ』同様今回も電光による字幕が登場したが、随所にそれが使用された前回とは異なり、幕開けで舞台背景を告げるのに用いられた後は下げられて、その為に気が散る愚は回避出来ていた。
ク・ナウカの舞台に接するのはこれが五度目くらいなので未だ観ていない幾つもの過去の代表作がどうであったわからないが、私が観た内では今回初めて、途中に休憩を挿んだ二部構成となった。だが、本編は前半で終り、後半は黄泉というのか浄土というのか、あたかも「別の世」の如き世界を顕しているという印象を受けた。
途中、微かに雨が降る一幕があり、それが丁度イギリスに向かう船の上でトリスタンとイゾルデが毒の盃(実は媚薬)を飲干す場面と重なり心理効果が倍増、運命の力を感じる瞬間だった。狩猟の陰で二人が忍びの逢瀬に耽る冒頭で、強めの風が吹き荒れたのも同様だ。
今回は幾つかの打楽器が生で用いられたが、それ以外のピアノの音、また弦楽器の音など劇の動作と被り効果を促す音の多くは舞台左手奥に設置されたモニターから流されていた。
演出の専門的な話はその筋に長けた方に任せるが、何と真摯な、そして何と痛々しい愛の表現であったことか。休憩時間も席を立てないくらい、また事前にスタッフから雨合羽が貸出されていたが雨がいざ降ってもそれを羽織るのを許さないくらい、集中力を要求された(実際には殆どの客が降雨の際にざわざわと合羽を纏っていたが)。
今回も感動と称賛に値する素晴らしい舞台をク・ナウカは我々の前に顕してくれた。有難う。



(携帯投稿の為、後刻編集予定)
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2005年11月13日

『ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」』

ク・ナウカ『オセロー』〜20051113(1)
東京国立博物館特設能舞台にて、今回の公演2度目のク・ナウカ『オセロー』を観た。
1度目(11/5・土)よりも倍近い整理番号で(前回は41番、今日は88番)、また前回は客席後部中央からの入場だったのに対し今夜は客席前方、舞台右手よりの入場だったこともあり、座る席が大分異なった。
場所が違うと見え方、そして聴こえ方も随分違う。前回は舞台を見て左袖の通路寄り(中央寄り)前から5列目か6列目、今回は中央袖の右通路寄りで前から3列目。舞台全貌を等しく観る意味では先日座った場所の方が適していたが、今日はより舞台に近く座った為、俳優達の顔や手や体の表情が間近に見え、また声も近くに聴こえた。但し声はより手前の俳優と、奥―殊に舞台左手に立つ俳優とで遠近感が激しく、必ずしも理想的だった訳ではない。
ク・ナウカの舞台を観るのは今回2度を含めてこれで4度目。そのスタイルや演出方法等を云々するには身を以た資料に乏しいが、一般に云われ、また過去二度がそうであった「二人一役」―「動き」の俳優と「声」の俳優の1セットという形からは一見、大分離れた「形」を今回は採っていた。何より美加理を筆頭とする、これまで「動き」に専念してきた俳優が「声」を伴っていたことに、それも一言二言ではなく、「動き」の半分を占める程のものであったことに正直驚かされた。だが、「二人一役」という型が全くないがしろにされていた訳ではない。数箇所の場面ではその型をそのままに演出されていた処もあり、だがその場面は独立してはおらず、一人の台詞が「声」の俳優、「動き」の俳優同士の間で目まぐるしく受け継がれて、あたかも「ことば」が、或いは「魂」が肉体をすり抜け、憑依しているかの如く感じられた。

「夢幻能」とあるので、能の形を今回取り入れていることは違いない。が、能に興味はあれど全く精通していない私には実際、具体的に何処がどの様に「能」であるのか、ただ何となくその様に感じられるだけで、専門的な指摘は出来ないが、決してそれにより「難しい」ものになったとは感じられなかった。むしろ、劇自体は其処に、正にあるがままに演じられており、観る側としてはそれをそのままに観さえすれば、例えば「物語」を掴めないと駄目な人にも容易く捉えることは出来たのではないかと思う。

中盤、八人の俳優が面を被って演じる場面があるが、あの面と俳優の関係が、いつものク・ナウカの「二人一役」に当るものだと今日は改めて認識した。その意味で、終盤「オセローの右手」をつけた美加理もまた同様だ。
「オセローの右手」と素の左手が蛇の様に絡み合いそして崩折れてゆく様子は、オセローとデズデモーナが共に息絶えたことを、そして「ひとつ」になったことを感じさせた。そのシーンの途中、美加理の眼から一筋の涙が頬を伝うのを見た。
芝居の幕引きで、美加理が袖に退く間際「いのちの光 今消えて」と謡う場面は圧巻である。
大まかに三部で構成された芝居の後半は殆ど美加理の独壇場であるが、それまでは無表情な、或いは悲しそうな、或いは苦しそうな、或いは修羅の様な表情を見せていた彼女がこの瞬間、ぞっと深淵を覗き込む様な笑みを浮かべる。その顔が、舞台を飛出して客席に座る私の目の前に突如「ぬっ」と迫ってきたのだ(この感覚は、この場面で美加理と対面する席に座った11/5の時の方がより迫真に感じられた)。そして袖に引揚げたかと思われた瞬間、踵を返してふわっと浮かび上がり、左手を舞わせる様にするとさっと袖に消えた。あれが「エンドマーク」だったのだと思わせる。

前半(能では「前場」と呼ぶらしい)4人の壺を担いだ女達が登場する場面がある。その中の一人が「デズデモーナの幽霊」=美加理なのだが、前回来た時には油断して、途中まで気づかずにいた。だが今回注目してみていたら、すぐにそれと気づいた。4人の内の、3番目の女だった。前半の終りで袖に退く直前まで、彼女達はマスクを被っているので目だけしか確認出来ない。美加理の眼は、別の世から見ている様な眼差しなのだ。
残った三人の女はその後楽器に回る。開演後真っ先に登場する俳優達9人の先頭の人物と併せ4人が楽器を奏でるが、これがまた見事である。『王女メデイア』でもそうであったがク・ナウカの「音楽」は生演奏で奏でられ、それが芝居の要素のひとつとなる。ただの音楽担当ではなく、劇中の「生音」なのだ。つまり、不要な音は出さないということだ。
また普段は「声」の俳優である阿部一徳や大高浩一、吉植荘一郎らが「動き」も演じ、「オセロー」の阿部と「イアーゴー」の大高が「素顔」で演じる「二人舞台」が絶妙である。

ク・ナウカの『オセロー』で興味深いのは、通常シェイクスピアの戯曲通りに上演される時にはあくまでもオセローの視点から演出されることが多いが、ク・ナウカはむしろデズデモーナの視点から、或いは「語り部」である旅人の視点から、そして気がつくと客席で観ている私達の視点から描かれている様に感じられた点だ。下手をすると「添え物」になりかねないデズデモーナが(中盤全く出てこないのに)正に中心に居たのは、美加理が常々「動き」の中心として君臨するク・ナウカならではだろうか。
1度目に観た時、電光掲示板による字幕がやや過剰に思え、俳優を見つつもしばしばチラチラとそちらに目が行き気が散ってしまったが、今回はそれが頭にあったのと、丁度掲示板と自分の間に俳優が挟まる位置に座った為に掲示板が殆ど視界に入らず、「難点」をクリア出来た様に思う。

芝居が終り、場を辞する時、頭上高く月が照っていた。
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2005年10月21日

公演情報『ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」』

公演期日が大分迫りつつあるので今更の様でもあるが、告知である。


 『ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」』

   ク・ナウカ シアターカンパニー

   11/1(火)〜13(日)
   (※11/7(月)は休演)

   東京国立博物館 日本庭園 特設能舞台

   エリアA 5,300/エリアB 4,300
   ※ユースチケット(25歳以下のみ) 2,500

   開場 18:45/開演 19:00

 原作 W.シェイクスピア
 演出 宮城 聡
 出演
    美加理
    阿部一徳
    吉植荘一郎
    中野真希
    大高浩一
    寺内亜矢子
    本多麻紀
    片岡佐知子
    鈴木陽代
    加藤幸夫
    たきいみき
    大道無門優也
    布施安寿香
    池田真紀子
    杉山夏美
    高澤理恵

 ※ユースチケットは公演当日会場受付でのお渡しのみと
  させて頂いておりますので御諒承下さいませ。
  当日は開演20分前までにお越し下さいます様
  お願い致します。

  開場時間は開演の15分前を予定しております。
  整理番号順の御入場となります(エリア内自由席)
  上演時間は約90分の予定です。
  (途中休憩はございません)
  野外での公演(客席は屋根付)となりますので
  どうぞ暖かくしてお越し下さいませ。


現在チケット予約はク・ナウカ・シアター・カンパニーe+(イー・プラス)チケットぴあ等で取扱っている(但し残席数、取扱席種、チケット販売方法等に注意)。
ク・ナウカの予約フォームからお申込をされるのが一番確実と思われるが、予約→入金後にチケットが発送されるまで、かなり日数がかかるので(私の場合は郵便振替による入金からチケット到着まで約2週間かかった)、殊に早い期日に御観覧希望の方は注意が必要と思われる(当日会場受取も可能)。

ク・ナウカ シアターカンパニー 公式HP
http://www.kunauka.or.jp/
posted by 紫乃薇春 at 08:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇

2005年03月20日

劇団京附属俳優養成所吉沢塾 第16回研究生卒業公演 「骨を抱いて」

2005年3月19日(土)
19時開演
ミニシアターKYO

(キャスト)
いね/笠原直子
たま/服部 歩
つぎ/倉沢 翠
新左/和田裕貴

昨夜観たnetの友人の舞台である。
公演の開催期間は3月16日(水)から21日(月)までだが、完全予約制の為この日時の回を希望。友人は「つぎ」役の倉沢翠(リアルではお会いしたことがなかったので「友人」とお呼びして良いものか迷ったが、netでの交流から惹かれるもの、通じるものを感じていたので敢てそう認識させて頂くことにした)。
簡単な人物関係を書くと、「いね」と「新左」は姉と弟、「たま」と「つぎ」は姉妹で「いね」の娘である。
舞台は九州・長崎県の海辺の小さな町。
時代は詳しくは定かではないが、劇中の発言、また舞台に置かれたセットのオブジェや衣装等から戦後暫く経った、高度経済成長が始まるか否かという頃だろうか。
「つぎ」が一人で留守番をしている「宮地家」に、叔父に当る「新左」がひょっこりと「放浪」から帰ってくる処から話は始まる。筋立て等こと細かに記すのは無粋だし、まだ公演期間中なので、これから観に行かれる方の目にもしこの記事が触れることがあれば申し訳ないことにもなるだろうから、殊更には控えたい処だが、面白い芝居だった。
前半は殆ど、「つぎ」と「新左」の二人芝居だが、「つぎ」が如雨露を持って歌を唄いながら小さな植木鉢に水遣りをする処など、劇の冒頭にしてひとつのハイライトだった。「とても暖かくて現代にも通じる問題をはらんだ作品」と倉沢さん自身の紹介にあったので、一人勝手に「泣ける芝居」と思い込んでいたのだが、この出だしの「つぎ」の仕種ひとつから、今思えば「笑える芝居」であったことを察するべきだった。安っぽい笑いではなく、「つぎ」と「新左」のぎこちなくも次第に通じ合い、惹かれ合ってゆく様子にこちらも引き込まれてゆく、その吸引力が一定ではなく、呼吸する様に伸び縮みする、その間合いに生じた「素」の様な仕種や表情、台詞が一瞬の「笑い」を呼び起こす様に感じていた。
正直に云うと、舞台にいたのが「つぎ」という姪っ子なのか、「倉沢翠」という女優だったのか、或いはその両者が互いに綱引きをしていたのかはよくわからない。しかし、倉沢さんの舞台を観るのは正真正銘これが初めてで、先に記した様に「倉沢翠」ではないその人ともリアルではお会いしたことがなく、正に舞台の上で初めて彼女と出会った訳で、その分一切の先入観の余地なく臨めたことは幸運だったと思う。
「新左」の台詞がやや説明的に感じた点は残念かと思えたが、「つぎ」に自分の何者かを明らかにしようともどかしく振舞う姿だったのかも知れない。それよりも、後半「いね」と「たま」が「宮地家」に帰宅するが、二人の台詞が「つぎ」或いは「新左」と比較して聞き取り辛かった点がむしろ難点だった。時代背景に従い、(上辺の)慎み深さを描く為に敢て小声で口を開かぬ喋り方に挑んだのかも知れないが、或る意味映画以上に人の言葉が重要になってくる(決して映画における言葉が重要でないという意味ではない)舞台においては、聞き取れないのは致命的だ。幸い、全く流れが読めなくなることはなかったが、観客が意識して耳を凝らさなければならないといった時点でその芝居は舞台上だけでは「輪」或いは「円」が完成出来ていないということになる様に思えた。

所詮は演劇における造詣など皆無に等しい私の戯言なので、「的外れ」「ナンセンスだ」といった容赦ない指摘を浴びることも甘んじて受けるつもりだけれども、昨夜の舞台から感じた、思ったことなど無造作に書いてみた。
開演は19時だったがやや早めに行き、開場とほぼ同時に入場して、舞台の上の風情あるセットに心奪われた。決して大袈裟なセットではない。場面転換もないので全く配置も換ることなく「一幕物」として1時間半の芝居が通されたが、出張ることなく芝居の「景色」を決めるセットを成すことも、また「創造」なのだ。
そのセット、写真に収めておきたい処だったが、知的財産権等に触れる惧れがある為諦めた。

この芝居はダブルキャストとのことなので、出来ればもう一組も観たい処だが、体調その他の理由でほぼ断念。しかし、最終日はどうなるのか、極めて興味深い処だ。。
posted by 紫乃薇春 at 03:44 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇

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