2011年10月24日

平戸八景(8)〜潮目

三日間に亘り高岩から順に巡り歩いた平戸八景も、この潮目が最後である。
潮目〜20111010-24-01
最初の高岩を筆頭に多くは奇岩を対象とした平戸八景であるが、潮目(しおのめ)は二番目の潜龍水と並ぶ水の景勝である。厳密に云えば水を取巻く環境というか、その地形が対象となっている。
最寄駅はJRの早岐駅で、駅前の国道を佐世保(大塔)側に進み、田子の浦という交差点を左折するとすぐ、観潮橋という短い橋がかかる。そのほぼ真下、早岐瀬戸と呼ばれる海峡の一際狭くなっている箇所、そこが潮目である。
確かに狭くなってはいるが、これまで巡った八景の他の場所と比べると地味というか、一見して目を引く様な場所ではない。知らなければ狭くなっていることにすら気づかずに通り過ぎてしまうだろう。平戸八景の締括りとするにはいささか物足りない風情であるが、観中公の時代には風光明媚の地であった様だ。

景色がすっかり変ってしまった現代でも特筆すべきはここが河川でも運河でもなく、自然に形造られた海―先にも記した早岐瀬戸の一角―ということだろう。潮目を含め辺り一帯は補強の為コンクリートで覆われてしまっているが、地形そのものは原型を大きく損ねてはいない。世界一とまでは云わないが、非常に狭い海峡のひとつである。
大村湾と外海を繋ぐ二本の海峡の内、針尾瀬戸(伊ノ浦瀬戸)は早岐瀬戸より遥かに広く、日本三大急潮の一つとも云われる激流が西海橋の景観とも相俟って有名だが、早岐瀬戸は知る人も余りなく、水面も穏やかである。だが潮目の処だけはその著しい括れが急流を生出している。満ち引きによって変る潮の流れも見応えのあるものらしく、古の人々はそうした風情に親しんだのだろう。上に架かる観潮橋の名も潮を楽しむことから付いた名に違いない。

付近の街並は近代化が進む中、昭和の香りの残る建物がひょっこりと、しかし違和感もなく溶け込んでいる。
潮目を目指して早岐瀬戸沿いを歩いていたら、この近所に住んでいるらしい子供達と出会った。時の流れが止まった様なこの土地で、彼等もまた風景の一部となりながら瀬戸に釣り糸を垂れていた。
高岩や大悲観の様な威厳はなく、石橋や眼鏡岩の様な奇観とも違う。水の風景ではあるが、潜龍水の様に神聖な清冽さを湛えている訳でもない。平戸八景の最後は幼少の自分を呼び覚まし思わず苦笑いをしてしまう様な、微笑ましい時間と風景を横たえていた。

足掛け三日、時には多少急ぎ足になりながら八景を巡ったが、三日間とも天候に恵まれたのが有難かった。
七番目の福石山だけは観た場所が合っているのか釈然とせず、後日確認の為再訪問する予定だが、とにかくここまで辿り終えたことにささやかな達成感を覚えた。いずれの奇勝も、また機会を見つけ足を運んでみたい。

潮目を辞し、この日の夕方は付近のテーマパーク・ハウステンボスを訪ねた。
辿り着くまでに陽が沈み、夜が瞬く間に色を飲込んでいった。

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posted by 紫乃薇春 at 22:00 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月23日

平戸八景(7)〜福石山

平戸八景・その七は福石山の五百羅漢窟である。
福石山〜20111010-23-01
この辺りまで来ると北から何番目というより南から数える方が余程早いが、いずれにしても残りはこことあと一つ。当日も訪ねながら、もうじき踏破出来るという感慨と裏腹に名残惜しい想いも感じ出していた。

先に巡った岩屋宮同様佐世保の市街地にあるが、岩屋宮を含む須佐神社が大通りを外れた住宅街の中にあるのに対し、こちらの入口は佐世保の駅前を通る国道35号沿いにある。福石観音として親しまれる福石山清岩寺の境内にあり、参道はほぼ真直ぐだが思いの外奥行きがあり、交通量の多い国道の間近にありながら境内は閑静である。
参道を直進し正面の石段を上れば福石観音の本堂があり、こちらには養老年間に同地を訪れたとされる名僧・行基作の十一面観音像が安置されている。羅漢窟へはその手前の小径を左に入る。入口には平戸八景の一つであることを示す道標と五百羅漢についての説明を載せた立て札があるのでわかり易い。民家の間の狭い階段を上ってゆくと、大きく口を開けた洞穴が目の前に広がる。
岩屋宮と同じくこちらも海食洞であるが、奥に深い岩屋宮とは見映えが全く異なる(※岩屋宮の洞穴内部は現在は観られない為、比較の仕様がないが)。こちらは彫は浅いが横に広々と抉られており、幅50m、奥行き7m、高さ3mあるとのこと。五百羅漢の名が示す通り嘗ては弘法大師が手掛けたとされる数多の羅漢像が安置されていたそうだが、岩屋宮でも見られた様に太平洋戦争で住居を失った人々がここを住処とした際多数の羅漢像を廃棄してしまったそうで、現在では僅かに数十体が残るのみとなっている。
当時の人々にとって止むに止まれぬ事情があったとはいえこういう話を聞くと人間の業というものを感じずにはいられないが、残された石仏も殆ど首から上がない(雑な作りの頭部が後から付け加えられている)姿で、中央に建てられた祠と共に訪れる僅かな客を出迎える。岩屋宮と違い入口を塞がれることなく今日でも見学が可能であるが、閉ざすには口が余りに広過ぎるのと、福石観音の庶民性を物語るのだろうか。
境内は西彼バスもしくは佐世保市営バスの福石観音前バス停から徒歩1分程だが、最寄駅のJRもしくは松浦鉄道佐世保駅からも徒歩15分もあれば着くので、佐世保まで来た折に、八景の全てを巡るのは億劫でも何処か一箇所くらいは観ておきたい、という方はこちらがお奨めである。但し見学の際は、福石観音(清岩寺)へのお参りも忘れずに―

―として締括りたい処であったが、憚られる事態が生じた。帰宅してから不足する知識の補完を兼ねネットで調べていたら、五百羅漢窟の場所について「(福石観音の)本堂がある谷とは尾根を挟んで裏側」にあり、また「本堂の裏、福石山の北側」に位置するという記述に遭遇した。
我々が訪れた処は本堂から見て北というよりは西にあり、また裏側ではなく斜め向かいというのが正しい場所である。如何にもといった抉れ具合の洞穴の中にさもそれらしき石仏が並んでいたのでその時は疑いもなくここだと思ってしまったが、もしかしたら他にも洞穴があったのかも知れない…と不安になった。尤もネットで更に見てゆく内に出くわした平戸八景の七番目として紹介するサイトには、正に我々が訪れたのと同一と思われる場所の写真が載っていたのだが…。いずれにしても近々改めて訪ね、確認してみたいと思っている。

五百羅漢窟(と我々が見做した)洞穴の上には散策路があり、その傍らには弘法大師が瞑想したと伝えられる座禅岩がある。散策路は規模は小さいが鎌倉の源氏山にも似た公園に続いていて、足場がやや悪いが寛ぐことが出来る。
更に先には遊具を備えた公園があり、積もる落葉を踏みしだきながら歩いていたら何かが先方から飛跳ねて私の胸にぶつかった。内心ドキドキしながら跳んでいった方を注意深く探ると、鮮やかな甲翅を纏うハンミョウがいた。さして希少な虫ではない筈だが実は今まで殆ど見たことがなかった。長らく暮らした鎌倉には余りいないのだろうか。折角のチャンスと思い撮ろうとしたが、ハンミョウは鈍重な私には追いつけない素早さで瞬く間に見えない処へ跳ねていってしまった。
そうこうする内夕暮れが迫ってきたので、残る八景の一・潮目に向かう為下山した。参道の途中に今度はカマキリがいた。御橋観音寺の門前でも見かけたが、その時のカマキリとはまた別種らしい。
こちらはハンミョウ程機敏でなく、私が一枚シャッターを切るまでじっとその場に居てくれた。

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posted by 紫乃薇春 at 16:18 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月22日

平戸八景(6)〜岩屋宮

高岩から始まった平戸八景巡りも三連休の三日目、残るは三箇所となる。
岩屋宮〜20111010-22-05
北から数えて6番目に当たる岩屋宮は、佐世保市街地の一角・高梨町の須佐神社境内にある。須佐神社は名前の通り素戔嗚尊を御祭神とし、他正殿に大国主命及び事代主命、正殿合祀に奇稲田比売命及び須勢理比売命、相殿に天之御中主神及び天照皇大神、相殿合祀に高皇産霊神及び神皇産霊神を祀っている。御神木は槇(まき)の木で、拝殿の前に樹齢四百年とされる立派な高木が聳えている。脇にある「神木の由来」には次の様に描かれている:

「この槙の木は慶長元歳丙申 平戸藩主松浦肥前守隆信は秀吉朝鮮に軍を起こすや兵船を編成し子鎮信、孫久信に指揮せしめて大に勇名をはせたり。
戦い終わりて同二年八月隆信が当社に戦勝奉告の参拝をし記念にこの木を手植せり。去る佐世保空襲にも消失せず、亭々としてその勇姿を残しそびえ立つている樹齢およそ四百年と伝えられている。」
 (原文ママ)

ここで平戸藩主・松浦隆信とされているが、年代を顧みると三代藩主・隆信のことではなく、初代藩主・鎮信の父の隆信のことであり、彼の人が党首の時代には松浦藩はまだ確立されていなかった。戦い終わりて戦勝奉告とあるが秀吉の朝鮮出兵、所謂慶長の役は慶長二年(1597年)から三年(1598年)にかけて行われた戦であり年がずれていることと、終結は秀吉の死を受けて撤退したことによるもので「勝利」と呼べる様な戦況ではなかったなど疑問に感じる部分もある(文禄の役もあるが、こちらは慶長の役より早く文禄元年(1592年)より翌年まで)が、この御神木が長寿であることだけは伝わる。

さて、肝心の平戸八景の一・岩屋宮であるが、奥行き10m程の海食洞であり別名穴妙見とも呼ばれ、古くから信仰の対象とされてきた(巷に洞穴は佐賀の伊万里まで通じているとの説もあるが、あくまで伝説の域を出ないものだろう)。
しかし実を云うと現在は須佐神社の拝殿が洞穴を塞ぐ様に立っている為、一般には立入ることが出来ない。僅かに開口部のみ片鱗が窺えるだけで、中を覗くことは到底不可能となってしまっている。
そうなったのには理由があって、洞内は神域として侵入を禁じられていたが、第二次世界大戦後に空襲で家を失った人々が住み着いたりした為、侵入者を防ぐ為と参拝者の利便を兼ね昭和三十年(1955年)頃に今の形で拝殿を建立したそうだ。
中の様子を観られないのは残念でならないが、ネットで岩屋宮と検索すると穴妙見と呼ばれた頃の古い写真を掲載したサイトが出てくる。当面はそうした資料を見ながら往事を偲ぶしかあるまい。

現地に辿り着くまでが難関の潜龍ヶ滝、奇岩の(八景に選ばれた意味において)存続が危ぶまれている大悲観など現在の平戸八景それぞれの抱える問題をこれまで巡りながら感じてきたが、八景の対象自体が現在最も難攻不落なのは、この岩屋宮であろう。何しろ「見ることが出来ない」のである。
そうしたこともあって、八景の中では比較的今の住居から通い易い場所にありながら、余りその実感がない。むしろ、個人的には「さくらプロジェクト」のマイ桜の植わる場所として馴染みがある。二年程前に神奈川の鎌倉から長崎の県北に移り棲み、それまでは鎌倉の自宅から歩いて通える公園の桜の一本を毎年マイ桜と決め同プロジェクトに参加していたが、当然移住に伴い桜も新たに選ばなくてはならなくなった。昨年の春先佐世保市街の須佐町や高梨町界隈をブラブラしていて偶然見つけたこの神社の、中の鳥居脇のソメイヨシノが目に留まり、それから昨年今年とその樹をマイ桜として同プロジェクトに報告をさせて頂いた。何か突発的に身辺移動でもない限り、来年もまたこの桜をリポートしたいと思っている。
さくらプロジェクトの関係で訪れるのは主に春、二月から四月頃に集中しているが、今回秋のこの時期に平戸八景巡りを思いついたおかげでマイ桜の紅葉も思いがけず観ることが出来た。初日に巡った御橋観音の桜とほぼ同様で既に散り落ちた葉が多い中、枝に残る葉の半数くらいが色づいていた。

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posted by 紫乃薇春 at 15:07 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月21日

平戸八景(5)〜眼鏡岩

平戸八景巡り・二日目。大悲観に続き向かったのは眼鏡岩。北は高岩に始まる平戸八景も折返しというか、大悲観までで既に半分巡ったことになる。
眼鏡岩〜20111009-21-01
地理的にもこれまでの四箇所が割と最近まで郡部に属していた(御橋観音寺石橋のある吉井町が2005年、大悲観のある小佐々町が2006年、高岩及び潜龍水下流部のある江迎が2010年まで)のに対し、眼鏡岩以下の四箇所はいずれも戦前、もしくは戦中には佐世保市に編入された地域にある。
八景を取巻く環境も自然に満ちたこれまでの場所から、市街地へと入り込んでゆく。その筆頭・眼鏡岩は佐世保市中北部の瀬戸越町にあるが、この辺りはまだ幾分郊外らしさを残している(この地名は「せとごえ」と読むのが正しいが、市民の多くは「せとごし」と誤読するそうだ)。だがつい先年瀬戸越交差点の一角にスーパーマーケット・エレナを中心とする「大野モール」なるショッピング・モールが登場するなど次第に人の集まる場所になりつつある様だ。

眼鏡岩への入口は隣接する西蓮寺の参道と同じで、交通量の多い国道204号の瀬戸越交差点から間近い。やや急勾配の参道を上ると意外に奥行きが深く、坂の途中に寺の山門が建つのを横目に見ながら眼鏡岩はそこから更に大分先である。参道の傍に駐車場が設けられているので、途中までは車で行くことも可能(西蓮寺と眼鏡岩の駐車場はそれぞれ別に設けられている)。が、参道は決して広くはないので、対向車が来た場合の行き違いには注意が必要。眼鏡岩の駐車場から先は程なく坂を上り詰め、ほぼ平らな小径を少しゆくとやがて短い下り坂になる。途中、径の右手に西蓮寺の端正な六角堂(仏陀殿)と寺の墓地があり、檀家の人々の墓参姿もちらほらと見える。対して左側は樹々や竹が生い繁り藪が出来る中に憩いの施設が造られている。
小径は下り坂の手前で岩山に突当たり、岩肌に沿って左に迂回しながら回り込む。坂を下った先に、眼鏡岩の名を付けられた公園がある。
公園の何処かに眼鏡岩がある筈だが、手前にせり出した岩盤に遮られているのか入口からでは見えない。見ると公園の一番奥にベンチがあり、その手前までずんずんと歩いて行きながら見回すと、右の奥まった処に漸く風変りな岩のアーチが見えた。
眼鏡岩とはよく云ったもので、幾分左上がりに歪んではいるが岩盤の二箇所が丸く抜け落ち、眼鏡の様に向こうが見通せる。岩のアーチの下をくぐりあちら側に行くことも出来る。因みに岩の裏側は獣道になっており、草が茫々生えている為途中で引返したが、どうやらその先まで進めば来た道の墓地の辺りに出る様だ。
御橋観音寺の石橋と同じく海食陸橋と呼ばれる天然の奇岩だが、組成が異なるらしい。眼鏡岩の成立ちについて、公園の案内には次の様に載っている:

「大昔、大きな鬼がひる寝をしていた。あたりの騒がしさに目をさました鬼が、うーんと手足をのばしたとたん両足が前の岩に当ってポッカリ二つの穴があいた。
昔から語り伝えられている眼鏡岩についての民話である。だがこの岩の実際の成因は、数十万年の昔、この辺が海だった時代に、海波によってできた海食洞穴といわれている。
 高さ約十メートル。
 長さ凡そ二十メートル。
 右の円直経約五メートル。
 左の円直経約八メートル。
この眼鏡に似た巨大な自然の岩はまさに人智では計り知れない不思議な造形である。
 平安の頃、たまたまこの地を巡錫(しゃく)した弘法大師が、この奇岩を見て『仏縁の地なり』といい、岩肌に残っている梵(ぼん)字と千手観音像は大師の手になるものと伝えられる。それにここは、旧藩時代には平戸八景の一に数えられ、軍港時代には佐世保名所随一と歌われた景勝地でもあった千百年にわたる庶民信仰の跡があり、春は桜、秋はもみじの四季それぞれの風情がある。」
(原文ママ、()内は振仮名)

鬼の仕業とは余りにメルヘンチックな話である。勿論その後の記述を読めばあくまで作り話であることはわかるが、敢えてそちらを信じてみたい気もする。近年科学は目覚ましい発展を遂げ、鬼などという非現実な存在は妖怪や幽霊等と共にどんどん隅に追いやられ、殆ど絶滅寸前であろう。完全に死に絶える前に呼び戻してやりたいと願うのはお門違いだろうか。
八景の見映え・見応えに優劣をつけても意味はない。個人的には八景を知る手始めとなった御橋観音寺の石橋により一層思い入れがあるが、一目見た時、眼鏡という形容より先に浮かんだ、タルコフスキーの『ノスタルジア』に登場するサンガルガノ大聖堂を彷彿とさす尊厳な佇まいも素晴らしく映る。

この公園は近所の子供達の格好の遊び場である様で、我々が訪れた午後3時から4時頃にも数人の児童が眼鏡岩の向こうとこちらとを行ったり来たりしながら走り回っていた。
帰り道、往きの小径を戻る途中、墓地の向いの休憩所で詩吟の練習をする老人と出くわした。藪があるおかげで寺以外間近な建物がない為、うってつけなのだろう。思わず立止まりそうになったが、余り邪魔されたくない様子。軽く会釈だけして足早に去った。

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posted by 紫乃薇春 at 22:32 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月20日

平戸八景(4)〜大悲観

先日の連休で巡った平戸八景の日記を、初日の三箇所について記した後実生活の事情もあり数日間が空いてしまったが、今日からまたポツポツと記してゆこうと思う。
大悲観〜20111009-20-01
二日目は「大悲観」及び「眼鏡岩」の二箇所。その内の大悲観は嘗ての北松浦郡小佐々町、今の佐世保市小佐々町に所在する。大悲観岩と呼ばれる海食残丘があり、平戸八景を定めた平戸藩主・松浦熈が1830年、夢枕に立った大悲観音菩薩の託宣に従い、残丘への登頂を試みたが、家臣らに説得されて断念し、代りに隷書で「大悲観」の大文字を揮毫して刻ませたのがその名の由来らしい。大悲とは仏教の言葉で大いなる慈悲の心という意味だそうで、大悲観音菩薩とはそうした心を持つ観音様なのだろう。尤も大悲観の他に大慈観という言葉もあるらしく、それぞれ異なる意味を持つ様だが不勉強故それを語れる程詳しくはない。
その残丘を中心に付近一帯は大悲観公園というテニスコートやゲートボール場、草スキー場、多目的グラウンド等の施設を備えた複合公園が造られている。比較的広い駐車場があり、その背後はこんもりとした小山。トイレの脇に階段があるので上ってゆくと、緩やかに傾斜した草地に小さな奇岩が幾つか並ぶ。誰かが置いたのか自然に転がり今の位置にあるのかは不明だが、平戸八景の一とされる大悲観が奇岩であることを道すがら匂わせる。斜面を上った先にまた階段があるが、その手前まで行くと目の前に繁る樹々の隙間から巨大な岩が顔を出す。遠目だとはっきりしないが、目の良い人なら凝らして見れば(岩の大きさに比して随分小さくはあるが)大悲観という文字が確かに刻まれているのがわかる。
先に進む階段を上り始めた処で相方が立止まったのでどうした?と訊ねると、またカマキリがいるよ、と低木の小枝を指差した。また、というのは前日巡った御橋観音寺でもカマキリを見たからだが、どれ、と近づいてみるとそれはカマキリではなくナナフシであった。特徴からしてトビナナフシの仲間らしい。小枝に沿い、懸命に脚を踏張って自身も枝の振りをしているつもりの様だが、生憎体色が留まっている枝と違い過ぎる為、一目で虫とわかってしまう。ひとしきり観察した後尻を軽く指先で触れたらボロ、と下に落ちてしまった。実はそれもナナフシの外的から身を守る習性のひとつだそうで、逃避(落下)と呼ばれる行動。落ちた後も枝の振りを見せる為暫くはその場で微動だにせず、掴まれても殆ど動かないのだそうだ。
階段を上り詰めるとベンチにテーブルを備えた休憩所があり、更に道は続く。或る程度離れた処から遠巻きに眺めるだけかと思っていた大悲観岩だが、どうやらその直下まで行かれるらしい。しかし、岩の真下に至る手前に看板が立てられていた:

「『大悲観』の大文字を彫った巨岩が、風化作用により、割れて傾いてきております。現在、防止策を検討中ですが、落下のおそれがありますので、 ご観覧の際は、くれぐれもご注意下さるよう、お知らせいたします。」

等と記されていたが、「現在防止策を検討中ですが」の箇所が塗り潰されている。風化した岩が自然と以前の状態に戻る訳はなし、危険な状態だが対策を放棄したということだろうか。正直足が竦み、暫く佇んでしまった。岩は間近で観たいが、高さ10m近くもある岩盤である。もし突然崩落もしくは倒壊し下敷きにでもなれば、ひとたまりもあるまい。恐怖心もさることながら、そんな危険のある場所をあくまで自己責任の範囲で開放している処が今時の日本にまだあること自体が驚きであった。
進むか戻るか迷ったが、岩と刻まれた文字を観たい欲求には逆らえず先に進んだ。横目に見ると確かに直立した岩と岩の間に大きな隙間が出来ている。尤も何の予備知識もなければさして気にも留めないのだろうが、それが元はひとつの岩だったことを知ると身震いがしてしまう。
岩の前面に回り見上げてみた。なるべく岩から離れた場所に立ち恐る恐るであったが、「大悲観」とはっきり彫られた文字が見えた。変った書体だがそれもその筈、文字の中に幾つかの隠し絵が込められているのだそうだ。暫し大悲観文字を見上げながら、不思議な気分に囚われた。500年も1,000年も前のものではないが、この文字が刻まれておよそ180年。岩自体は風化が進んでいるというが、文字は(一部欠落箇所もあるが)今だにかすれもせずに残っている。平戸八景に興味を持ち始めてからそのものものしい名称が一際印象深く、或る種非現実なものにすら感じていたのであるが、目の前にそれが今翩翻と存在することに対する一種の違和感。一方では、平戸八景と云いながら定めた当人自ら揮毫した文字を刻ませた岩をその一つに選出することへの疑問めいた感覚。だが、仮に大悲観の文字がなくとも岩自体が頗る見事なものであるには違いなく、そこに接するきっかけを与えてくれた先人に改めて感謝と畏敬の念を抱いた。
岩の側面には弘法大師の文字が刻まれ、幾つもの磨崖仏が彫られてある。自然の浸食によって出来た痕もあって、小一時間眺めていても飽きることがない。岩の裏面は大悲観岩陰遺跡と呼ばれ多数の出土品が発掘された跡でもあるが、さすがに岩の威厳に圧倒されてそこまで間近に寄ることは出来なかった。大悲観文字の右上の方にスズメバチの類と思しき巣が宿っているのが見えて、それが生きた巣か死んだ巣かわからないが背筋に寒い気配を覚えたこともあり、足早に岩から遠ざかった。

大悲観岩の場所から、往路とは別の道を通り公園を軽く一周して駐車場に戻った。
ここは鉄道で来るには線路からかなり遠く適さないが、強いて云えば松浦鉄道の小浦が最寄駅だろうか。しかし嘗ては国鉄(当時)の臼ノ浦線という路線が走り、公園の入口付近に大悲観駅が設けられていたらしい。尤も臼ノ浦線の廃止が1971年、大悲観駅はそれより遥かに早く、戦時中の1944年には廃駅になったそうである。
公園の前を通る二本の道路の必然性を欠いた全く同方向への並走は、片一方にその昔鉄道の線路が敷かれていたことを物語る。当日は失念してしまったが、同公園の駐車場には臼ノ浦線で使われた木製の電柱が一本残されているらしく、同路線終着駅の臼ノ浦駅跡にはモニュメントがあるらしい。この他にも長崎県北には幾つか廃止路線があるそうで、廃線跡を巡る散策もいずれ機会を見つけてしてみたい処だ。

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posted by 紫乃薇春 at 23:03 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月15日

平戸八景(3)〜石橋

平戸八景・北から数えて三番目の奇勝は佐世保市吉井町の御橋観音寺境内にある石橋である。
御橋観音〜20111008-14-01
こちらは2005年に佐世保市と合併するまでは北松浦郡吉井町に属していた。最寄駅は松浦鉄道の吉井駅であるが、嘗て国鉄(前身は佐世保鉄道)世知原線が運行していた時代には御橋観音という駅があったと聞く(但し、世知原線廃止は1971だが、御橋観音駅はそれより遥かに早く1944年に廃駅)。
そういえば先に巡った潜龍水について高岩と同じ旧江迎町に所在と記したが、滝の上流は吉井町、下流が江迎町に属し、一般に滝を観るのは江迎側からだが厳密には嘗て二つの町に跨がる滝であった。

御橋観音寺は昨年、一昨年と紅葉を観に訪れておりいずれも奥の石橋まで拝観しているので、さくらプロジェクトでお世話になっている須佐神社境内の岩屋宮と共に個人的には尤も馴染み深い場所のひとつである。各々の紅葉の様子についてはこちらこちらのエントリ(アルバムはこちらこちら)に記した。
寺と石橋についても触れてあるので改めて書くまでもないが一応簡単に記しておくと、御橋観音寺は正しくは石橋山(せっきょうざん)御橋観音寺と云い、奈良時代の高僧・行基が養老年間に海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の一体が御橋観音となり現在まで信仰の霊地として栄えるものと伝わる。
山号及び寺号の由来ともなった石橋は海食陸橋と呼ばれるもので、遥か昔この辺りが海であったことを物語る。高さおよそ20mの海食洞の天蓋が抜け落ち、残った部分が長さ約27m、幅約4mのあたかも二重橋の如く架かるもの。今回で三度目となるこの石橋を観る度、事実は小説よりも…ではなく自然(天然)は人工よりも奇なり、を実感する。
山門手前の駐車場からも遠目に石橋を眺めることが出来、真下から見上げるよりもむしろ橋らしい形をしているのがわかり興味深い。

境内は狭いながらも落着いた佇まいを見せ、かと云って訪問者を圧する様な冷たい威厳はなく誰でも寛いで参拝出来る柔らかさがある。だが本堂を過ぎて石橋に通じる木立は深遠に通じるというのか、さほど奥行きがある訳でもないのに日中でも薄暗い静寂に満ち、凛とした冷気が漂っている。決して強要されている訳ではないが自然と姿勢を正す気分になる。全国区には余り知られていないが京都や鎌倉の有名な寺院とも見劣りしない、名刹である。
石橋の付近はいささか地味ではあるが天然記念物に指定されたシダ植物の群生地でもある。そして境内には多数の楓が植えられ、毎年季節が訪れる度豊かに色づく。今年の紅葉は早いというが、さすがにまだこの辺り時期には早過ぎる様でいずれの楓も青々としていた。だが桜の紅葉は楓よりも早く、同じ幹でも葉によってかなりムラがあるが既に色づき、或いは大部分散り落ちている枝もあった。

初日、我々にしては早く昼前から動いたが、高岩から潜竜ヶ滝を巡り石橋に辿り着く頃には陽も大分西に傾き、空に赤みが差し始めていた。
御橋観音の参道は車一台分の狭い一本道。日没前には下山しようと少し急ぎ足に境内を出たが、山門の前で相方が「こっち、こっち」と呼止めるので何かと思い振向くと、車止めの上にカマキリ。子供の頃は当り前に見かけた虫も、近頃は滅多に見なくなっている。鎌倉の実家近辺と違い、この辺りはまだ豊富な棲息環境に恵まれているのだろう。
御橋観音〜20111008-14-10
参道を下り、佐々川に架かる橋を渡って左へ行けば世知原。知る人ぞ知る銘茶の産地に想いを馳せながら、宵闇に追いつかれる前に吉井駅の方へと向かった。

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2011年10月14日

平戸八景(2)〜潜龍水

平戸八景・北の二番所は潜龍水と呼ばれる滝である。
潜龍水〜20111008-14-01
高岩と同じく旧北松浦郡江迎町に所在し、最寄駅は松浦鉄道の潜竜ヶ滝駅であるが間近という訳でなく、駅付近の交差点を佐世保方面から右折(平戸方面からは左折)し、車でおよそ5分、徒歩ならば20分くらいは行かねばならない。
道幅は広くないものの中央線の引かれた片側一車線の舗装路であるが、途中起伏の激しい箇所があるので20分とは云っても歩けば相当疲れそうだ。車ならばすぐの様だが、最も険しい箇所はまるでジェットコースターに乗っている風であり冷や汗を掻く。更に、滝を控えて公園が設けられているが、その手前からは中央線が無くなり、滝から連なる河川に架かる車一台が通れる幅の橋を渡って漸く公園の駐車場に辿り着く。
そこから先は朱塗りの橋を渡り、公園の中を歩いて滝を目指す。駐車場の傍らに「潜龍ヶ滝案内図」と記された板があるが、肝心の図がすっかり掠れて読めなくなっており役には立たない。かなり険しい上り階段が続く為距離はさほどでもないが遠く感じる。滝を目指すルートは二つあるというが、分岐点から余り進まぬ内にすぐ合流する。因みに分岐点には道標があり、左へ行くと滝まで250m、右へ行くと210m。左の方が遠回りの様だが、上りが幾分緩やかだ。
二つの道の合流する辺りに寺があり、竜王寺という。如何にもといった名前だが、今この一帯を管理しているのだろうか。その先には古い鳥居が立ち神域であることを伺わせるが、この鳥居と付近の石垣などを整備したのが平戸八景を定めた観中公こと松浦熈だそうだ。
鳥居をくぐる手前に休憩所と渓谷を拝む展望台があり、展望台から流れの上流を見やると生い茂る樹木の隙間から微かに滝と思しき落水が覗く。一方、休憩所の前には滝についての案内板があり、こんなことが記されている:

「潜竜ヶ滝は 国鉄松浦線潜竜駅より約二キロ 徒歩三十分のところ吉井町草の尾を境とする断崖にかかる名瀑である
県北は長く平戸藩の領としたところであるが 第三十五代藩主観中公は名勝地を選んで平戸地方八奇勝と名づけたが 潜竜ヶ滝はそのうちの一つである
滝は高さ約二十余米滝壺の深さは六米余り男滝女滝の二つに分れており 嘗つて県観光地二十選で第一位に当選したことがある
郷土誌によると「口碑に曰く嘗つて観中公の初世(文政十二年)管内巡視の挙ありて此の地を過ぎらるるや此の滝を検し偶々滝壺より竜の頭をあらわすあり 公大に之を嘉し乃ち滝を潜竜と命名 四境を抜い石門 華表を設け 婦女の域内に入るを許さず 毎年代参を派して神楽を奏し 以って之を祀る」とある
滝壺に落ちた水は二筋に分れて布引の滝となり又一つに合して不動の滝となる
此の附近一帯四季には桜 つつじ もみじ 椿など全山を彩りめじろ ひよ もずなどの小鳥がさえずり憩の地としても最適である」


松浦線は現在の松浦鉄道、潜竜駅は潜竜ヶ滝駅に当たる。尤も徒歩三十分とあるが当時の潜竜駅は今の潜竜ヶ滝駅から隣のいのつき駅方面にややずれた場所にあったそうで、今よりもっと遠かったのかも知れない。
鳥居をくぐると「マムシに注意」と促す看板があり、少々背筋が寒くなる。しかし辺りは鬱蒼と草木の繁る山あいの水域であり、実際蝮の多数いそうな気配だ。幸い蝮に出くわすことなく階段を上り、途中から下りに転じると滝はすぐそこである。川のせせらぎがいつの間にか滝の音に替っていたことにふと気づく。下りは下りで足元が滑り易いので注意しながら段を降りると、やがて目の前に白泡を轟かせながら落ちる潜龍水が姿を見せる。
落差24m余とあり取分けて規模が大きい訳ではないが、端正で滝らしい姿の滝である。一見すると普通の滝の様だが、よく見ると向かって右側(手前)に太く、左側に細い二条の筋があり、恐らく手前が男滝、奥が女滝であろう。案内板にも触れてある通りである。
とあるブログに「(平戸八景で)一番の難所」とあったが、成程辿り着くまでの道のりは最も険しいかも知れない。だが漸く着いて瀑布を拝む時、疲れも滝の響きに癒される。この日、10月にしては汗ばむ程の陽気であったが、滝の間近にいると冷やり涼しさが伝わってくる。

奇岩の多い平戸八景にあって珍しい水の景勝だが、それだけにそこに至る道のりと共に印象に残る名所である。

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posted by 紫乃薇春 at 21:43 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

2011年10月13日

平戸八景(1)〜高岩

先の三連休に巡った平戸八景について細々記したいと思いつつ、その後じっくりした時間が取れずに過ごした。漸く多少の暇が出来たので、現地で撮った写真の整理などしながらこれらの景勝地を振返ってみた。今日から少しずつ、巡った順を追って記してみたいと思う。

平戸八景(平戸八奇勝)は、旧平戸藩の十代藩主・松浦熈(まつら ひろむ)が北宋の瀟湘八景になぞらえて採用した藩内に点在する八箇所の奇岩からなる景勝地。平戸藩とは云うが大橋を渡った所謂平戸市内には一つも無く、九州本土の北松浦半島に全て所在し(その為北松八景(ほくしょうはっけい)とも呼ばれる)、北は江迎町から南は佐世保市に至る奇勝であったが、市町村合併により現在は全て佐世保市にある。

北から、

1)高岩(高厳 たかいわ)
2)潜龍水(せんりゅうすい、潜龍ヶ滝)
3)石橋(いしばし/御橋観音寺)
4)大悲観(だいひかん)
5)眼鏡岩(めがねいわ)
6)岩屋宮(いわやぐう/須佐神社)
7)福石山(ふくいしやま、五百羅漢窟/福石観音)
8)潮の目(しおのめ)

の八所。
初日(10月8日)は最北の高岩から御橋観音寺境内の石橋までを巡った。
高岩〜20111008-13-01
高岩(正しくは高巌)は旧北松浦郡の江迎町にある断崖で、松浦鉄道(MR)の高岩駅間近にありホームからほぼ全貌を一望出来る。またMRに沿って走る国道204号からもおおよそを観ることが出来、佐世保側から平戸方面に向かって北上するルートであれば高岩駅手前のカーブを曲がった途端、目の前に剥出しの岩盤が迫りその威容を目の当りにする(逆に平戸方面から南下すると高岩を背にする格好になり、殆ど気づかずに通り過ぎてしまうことが多いが)。平戸八景の中では最も拝むのが容易い場所でもある。他の景勝の多くが奥まった山あいや神社・寺院の境内、或いはそのスポットを中心とした公園の敷地内にある中、ここと潮の目は日常往来する道に面して裸のまま置かれている所為である。
これは八景を北から巡る際に都合の良いことでもあって、八景の何処かから至近距離の住いでもなければ北から、或いは南から順を追って巡るのが恐らくやり易いのだが、一箇所だけならともかく、八箇所もある名所を巡るのにその皮切りが酷い難所であればそれだけで気が挫けてしまいかねない。
ともあれ平戸八景北の一番は高岩と呼ばれる高さ約30mの断崖であるが、例えば潜龍ヶ滝が名のままに滝壺から龍が姿を現したと伝承されたり眼鏡岩が文字通り眼鏡に似た奇岩であったり、大悲観の様に百数十年も昔人の手で彫られた文字があるなどといった「喩え」「なぞらえ」の類はない。ただ云うならばやはり文字通りに「高い岩」であろうか。確かに奇岩ではあるが、他の幾つかの様に何かに似て見える訳ではない。
その曖昧さから八景の中ではやや印象が薄いという人もいるかも知れないが、剥出しになった岩盤もしくはそれを含む山全体を差して高岩と呼ぶならば対象となる景観の規模としては八景随一ではないだろうか。高岩は殊に景観保存の為の補強等も施されておらず現在でもその岩肌が恒常的に崩落しているとのことなので、松浦熈が八景を定めた当時はこの岩も今よりもっと大きく見応えがあったのかも知れない。だとするとそう遠くない将来には更に姿を変え、いずれは「高岩(高巌)跡」と呼ばれる様になるのかも知れないと思うと少々寂しくもある。
だが少なくとも今は周囲の景色、付近を走る松浦鉄道の鉄橋や下を流れる河川なども含めて楽しむことが出来る、八景最初のスポットとしては充分な景勝地である。

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posted by 紫乃薇春 at 23:53 | Comment(0) | 平戸八景(仮)

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