2005年09月07日

Moony

今日は9月7日。キース=ムーンの命日だ。

キース=ムーンと聞いても今の多くの人はピンと来ないかも知れない。私自身、彼の存在を知ったのは彼が他界してから何年も経った後だった。そもそも、彼の存命の頃にはまだ、ロックというもの自体、殆ど聴く習慣がなかった。兄の影響で少しづつ、洋楽のロックに接する機会が増えた中でTHE WHOというバンドを知った。そのバンドの伝説と化したドラマーが彼、キース=ムーンだったのだ。
初めて聴いたのは『ライヴ・アット・リーズ』、『フェイス・ダンス』、『イッツ・ハード』、それに「無法の世界」と題された曲など。だが、この中で『フェイス・ダンス』と『イッツ・ハード』では実際にはキースのドラムを聴くことが出来ない。この2作は彼の死後、元フェイセズのドラマーであるケニー=ジョーンズを迎えて心機一転の形で創られたアルバムだからだ。確かにケニーのドラムは悪くない。ただ堅いだけ、という批判もあるが、ともすれば暴走しがちな他の3人をきっちりとしたリズムで繋ぎ留める役割を(少なくともスタジオワークにおいては)果たしている。だが、やはり違った。そもそも「ドラムが碇になる」ことが既にTHE WHOではないのだ。キースの時代には誰よりもドラムが先に立って暴れていたのだ。こういう云い方を普通はしないが、彼の場合は「リード・ドラム」であったのだ。『フェイス・ダンス』でも『イッツ・ハード』でもケニーのドラムの行間についキースの影を追ってしまい、正に行間を埋め尽すあのスタイルを偲んで「これがキースだったら」という溜息を洩らしてしまう。もしキースが全盛期よろしく叩いていたら、そもそも曲そのものが丸っきり別のものになるだろう。
だが、ピート=タウンジェンドが晩年のキースについて「殆ど、まともにプレイ出来ないことがしばしばあった」という様に、死の直前のキースは著しく体調を崩していたらしい。確かに、彼の没年発表された最後の参加作品『フー・アー・ユー』を聴くと、60年代から70年代初め頃までの圧倒的なパワー、自由自在なパターンなど彼の生命力が大分鳴りを潜めている。僅かに表題作「フー・アー・ユー」において繊細でトリッキーなドラムワークが垣間見られるものの、打込みは弱く、音も軽い。余程真摯に体質の改善に取組むか、根本からドラム・スタイルを変えない限り、キースがその後も生き続けたとしても無様な老醜を曝しただけだったかも知れない。
そう思い始めるとどんどん落込んでゆくのだが、今は、少なくとも今日は、かつて「空前絶後、唯一無二」と呼ばれたドラマーがいたこと、今も少なからぬファンの胸に、バンドのスピリットに生き続けていることを偲んで、元気だった頃の彼のドラムを聴くことにしよう。

彼は一枚のソロ・アルバム、幾つかのセッション等を除いては殆ど、THE WHOにおいてプレイした。THE WHO名義のアルバムの中で、殊にキース=ムーンの素晴らしさ、凄さを聴きたいなら、1965年に発表された1st『マイ・ジェネレーション』から、1971年発表の『フーズ・ネクスト』までがお薦めだ。『四重人格』も良いが、このアルバムはキースよりもピートのシンセサイザー等ギター以外の(ギターも素晴らしいが)様々な楽器、機材の扱いの巧みさを味わうべき作品だと思う。

キース=ムーンが参加したTHE WHOのオリジナル・アルバムは以下の通り。

      『マイ・ジェネレーション』(1965)
      『ア・クイック・ワン』(1966)
      『セル・アウト』(1967)
      『トミー』(1969)
      『ライヴ・アット・リーズ』(1970)
      『フーズ・ネクスト』(1971)
      『四重人格』(1973)
      『オッズ・アンド・ソッズ』(1974)
      『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』(1975)
      『フー・アー・ユー』(1978)

キース=ムーン:1946年8月23日生〜1978年9月7日没。

Moony〜20050907


posted by 紫乃薇春 at 06:18 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽<THE WHO>
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