2005年06月29日

水無月の夜

気怠い水無月の夜。
雨は降っていないけれど、蒸した空気がどんよりと肌にまとわりついてくる。

「水無月の夜」、という曲がある。1976年、前年に発足したフォーライフ・レコードから井上陽水が初めてリリースしたアルバム『招待状のないショー』の、当時はLP盤のB面最初に収められた曲。蛍狩りの歌だ。ややロック調の長いイントロで始まるが、唄が始まると一転、ドメスティックでしっとりしたバラードとなる。そうした曲調或いはアレンジの変化はこの曲に限らずアルバム全体を通じて随所で聴かれる。陽水のこれまでの全作品の中でも最も凝った造りとユニークで創造性に富んだ内容を誇っているが、アルバムについてはまたいずれ記すことにしたい。
蛍狩り、といっても野辺に繰出して云々というものではなく、「君」が蛍狩りから戻ってくる下りから夜灯が消されるまでのシークエンスを綴った内容で、「真只中」ではなく「その後」いわば「外れ」を描く処が如何にも陽水らしいが、場面が一幕の映画を観る様に表現されている。そして「送り火」「迎え火」「蛍火」と内容を踏まえた韻をきっちりと踏まえているのが、歌詞でありまた詩として決して崩れない型を保つことにもなっている。
この「水無月の夜」にしてもアルバム表題作「招待状のないショー」にしてもこの時期の彼には意外な程ストレートで潤いに満ちたバラードだ。同アルバムに収録された「曲り角」や「坂道」、或いはシングルカットされた「青空、ひとりきり」等のシニカルな語法が幅を利かせ始めた時期だけにより意味深な含みを帯びてくる。また同年のライヴ盤『東京ワシントンクラブ』の中のスタジオテイク「あかずの踏切’76」辺りのそこはかとないやる気のなさとも雲泥の差である。シニカルさは持って生まれた性格に違いないが、本来はこうした、しっとりと謳い上げる様なバラードこそが本領であり、本人も好きなのではないか。勿論、後の「My House」や「ジャスト フィット」の様なシャープなポップロックも充分に馬力と説得力を持って迫ってくるし、「映画に行こう」「嘘つきダイヤモンド」等のブルースベースの曲もまた、意外な程相応しい。だがそれでも心の底ではむせびながら絶唱したいのが本音の様に感じてしまう。
アルバム『氷の世界』辺りまではバラードもポップ調もストレートな作風が多かった。だがポリドールを去る直前の『二色の独楽』の頃からそうした包み隠さない自分に疑問と気恥ずかしさを覚え始めたのかも知れない。やがては歌詞も記号化してゆく分岐点上で生み出された、余り目立たないが珠玉の一篇である。

この曲を久々に聴きながらふと、今年も蛍狩りには行かぬまま終ってしまいそうだと呟いた。
そもそもこれまで蛍を見たことが幾度あったろうか。はっきりと覚えているのは小学時代、父の実家を訪れた折に近所の田んぼの中を彷徨いながら明滅するか細い光を追いかけた時のことだけだ。源氏蛍ではなく、平家蛍だった。
来年こそは源氏蛍の名所に行こう―そう嘯きながらもう、幾年が過行きている。
posted by 紫乃薇春 at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽<井上陽水>
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