2012年08月15日

星見日記/精霊流し

この夏の天文イベント(現象)として、昨14日未明の金星食というものがあった。地球から観た月と金星の位置が重なる為、金星が月に遮られて見えなくなるという現象で、星好きな私としては楽しみであったが生憎の雨、おまけに時折雷を伴う激しい降りの為観られなかった。同じ食でも日食や月食と比べて殊に地味だが、先日の金星日面通過程ではないにしても次に好条件で観望出来るのは51年後と聞けばそれなりに珍しい現象であり、不可抗力とはいえ残念であった。
ただ以前に一度、金星食を観た記憶がある。随分前のことなので曖昧だが、その時は今回と異なり確か宵の金星食だったと思う。
気になったので調べてみた処、私が物心ついてからこれまでの主な金星食は2度あったことがわかった。1989年12月2日と2003年5月29日で、近いのは2003年だがこの時の月は月齢27.7で下弦、しかも殆ど新月直前である。時間帯も午後3時過ぎからとまだ昼間で、おまけに太陽に余りにも近過ぎ、普通なら見上げても気づかないだろう。決して好条件と呼べるものではなかった。
一方の1989年は夕方5時台に始まり、こちらは三日月の影の方から金星が隠れ、月の端付近から顔を出した。覚えがあるのは明らかに夕方の薄明の中の出来事で、条件を見るとこちらが当たっている様だ。以前と云ってもせいぜいこの10年内のことだと思っていたが、あれから早や20余年も経ったのかと月日に感慨を覚えた。

他に、惑星ではないがアルデバランの星食を観たことがある。アルデバランは牡牛座の1等星で、牡牛座は黄道12星座の一つとして御存知の方も多いだろう。冬の1等星と云えば全天一の明るさを持つシリウスを初めオリオン座のベテルギウスとリゲル、御者座のカペラ等有数の輝きを誇る1等星が輝きを競っている。シリウス・ベテルギウスと共に冬の大三角を形成する子犬座のプロキオンもまたリゲル並に明るく、更に日本では南東北以南でないと拝むことが出来ないがシリウスに次ぐ輝星であるカノープスもまた、北半球では冬の1等星である。
それらの星々が輝きを競い合っている中で若干控え目な存在ではあるが、アルデバラン自体も充分1等星らしい明るさを持つ星である。もし他の季節、例えば春や秋の星座にあれば恐らくもっと目立っていただろう。
この時は未明で、西の空低く沈みゆこうとする下弦の月のすぐ傍らにアルデバランがいた。月は既にヒアデス星団の他の星を食った後だったろうと思う。偶々深夜から散歩に出ていた私は自宅近所の高台の公園に佇み、そちらを見守っていた。やがてアルデバランが減光し始めた。
星にも見た目の大きさがあり、限りなく小さな点の様でも視直径を伴う。星食という現象に出くわすと、星の大きさというものを実感することが出来る。星の見た目に面積がないか、或いは最小単位分しかないならば、星食が起きた際月の輪郭に触れた瞬間に星は見えなくなるだろう。だが実際は減光が始まってから完全に姿を消すまでの間に僅かではあるが時間がかかる。
この時観たアルデバラン食も皆既となるまでに数秒を要した。そして月はアルデバランを飲込んだまま、西の尾根の向こうに沈んでいった。

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8月15日、長崎の各地が一斉に、恐らく年を通じて最も賑やかになる日を迎えた。
精霊流し〜20120815(1)
県北に移り住んでから今月末で四年が経つが、精霊流しを見物するのはこれが三度目。長崎の夏の風物詩としては花火と共に、いや全国で行われる花火以上に見応えのある行事である。
元々は名称のイメージ通り水面に船(精霊船)を浮かべ海に流していた様だが、環境への配慮からか長崎市では1871年に海への流しを禁止したそうだ。海へ流す行事であったことを物語る様に、内陸部の波佐見町や旧世知原町などでは元来この風習はないらしい。一方で島原市や西海市、松浦市、そして離島の五島市等では現在も海への精霊流しが行われていると聞く。
県北の佐世保では長崎市と同様、陸上を曳き手の人達が担いで歩く形の精霊流しが行われる。今年で見物三度目ともなればこの風習にも大分慣れた様で、未だに時間等への認識はかなり曖昧なままである。
夕方の5時頃には流し始めるというが、通りを窺ってもまだ殆ど気配はしない。ただ時折彼方で、微かに火薬の弾ける音がしたかな、と思うくらいのものだ。それが、夜の7時を過ぎるくらいになると、あちらこちらでパン、パパン、と爆竹が鳴らされ、時には鉦の音なども響く。一行が過ぎた後の路上には、生々しい火薬の香りが立込めていた。

精霊船の集積場(流し場)は地域によって定められている様で、佐世保の市街地とその周辺は名切のグラウンド。流し場への主だった通り道である35国道沿いからグラウンドまで、先日のシーフェスの花火に劣らぬ人垣が築かれる。
流す間、曳く時も停まっている時も盛んに爆竹が鳴らされ、爆竹は一束を解さずに火を点けるのが常で、一度点火すると不発弾を差引いても数十発がまとめて破れる。すれ違う際、目の前で鳴らされるとさすがに耳が痛いが、うるさいと云いながらもいつの間にか親しんでいる自分に気づいた。

今年は宵の7時過ぎに家を出て、通りを曳くのを少し眺めた後すぐに集積場へと向かった。賑やかな馬鹿騒ぎに見えてもこれは弔いの儀式であり、名切グラウンドに着くと人垣の傍らに仏間が設けられ、何人もの坊さんがお経を読み上げている。
グラウンドには後から後から船が到着し、個人宅からの小さな船は割と静かに入場してあっさりと船を置いてゆく。だがもやい船と呼ばれる大きな船が来ると、門の前で一旦停まり盛大に爆竹を鳴らした後、ゆっくりと入場してくる。そして多くの場合、同じ長崎の祭であるくんち宜しく派手に船を曳き回すパフォーマンスを見せる。その度にあちこちから歓声が沸起こっていた。
尤もこの曳き回しは本来は好ましからざる行為の様で、長崎の郷土史家として名高い越中哲也先生は毎年、録画中継の解説の度に「難破船になるですばい」と釘を刺しているそうだ。
精霊流し〜20120815(2)
精霊流しといっても華やかな船を出すのは初盆のみで、それ以降は菰(精霊菰)と呼ばれる萱を編んだ小さな敷物に供物を包み込み、携えて流し場へ持ってゆくそうだ。そういえば今年も、派手に爆竹を鳴らしながら練り歩く精霊船の一行を横目に、ひっそりと萱束を携えて名切へ向かう人の姿を幾人も見かけた。
実はこの精霊菰が、精霊流し(精霊船)の原形だそうである。元はささやかな行事だったものが、年月を経て賑やかな、華やかな催しに発展していった。多くの祭がそうである様に、精霊流しもまた同様の変化を遂げた。今在る騒がしい精霊流しは観る者としては楽しいが、当事者にとって賑やかしに勝る想いはどれ程あるのだろうか。幾分寂しげに精霊菰を置いて帰ってゆく人々の姿に、仏事としての精霊流しの心を垣間見る気がした。

数十隻の精霊船が流し場に到着するのを見守った後、その場を辞して佐世保川畔に移動した。
灯籠流し〜20120815
こちらも毎年、アルバカーキ橋の傍に設けられた埠頭から人手伝いに灯籠が川面へと流される。所謂灯籠流しは長崎県に限らず全国で見られる行事だが、こちらに来るまで精霊流しを灯籠流しと同一のものだと思っていた。尤も生粋の県民である相方にとっては華やかな精霊流しこそがお馴染みであり、灯籠流しと混同していた私に―私が精霊流しの実物を知って驚いたのと同様に―ひどく驚かされた様だ。

昨年、一昨年とも橋の途中まで行って引返してきたが、今年は渡り切り対岸の佐世保公園に足を踏み入れた。
精霊船の流し場程ではないがこちらも結構な人が出ていて、見た目程のしめやかな雰囲気は希薄になっている。だが彼方に爆竹の音が聞こえると、遥かに密やかでうら寂しい気分を覚える。
橋を渡ってすぐのテントが灯籠流しの受付で、小屋の片隅に置かれたラジカセからはさだまさしの歌が流れてきた。曲は「案山子」であったが、「精霊流し」のその曲もその前か後かにかかったのだろうか。

「精霊流し」は船を送り出す人の心情を謳ったものだそうだが、流しの人込みから外れ、こうした静かな場所で遠くの騒ぎに耳を済ましているとこの歌の情緒が実はとても相応しいことに気づく。回を重ねる毎に、初めはギャップと感じた溝が埋まってゆく。爆竹と花火とお経と人々の歓声で渦巻かれた流し場でこの曲が流れていたとしても、今なら違和感なく聴けるだろう。
だが、「精霊流し」は佐世保でなく、長崎市出身のさだまさしがあくまで長崎市の精霊流しへの想いを込めて書いた曲である。この曲の根を辿るなら、一度は長崎市の精霊流しを体験しなければならないのだろう。県民になって四年近いとはいえ、幸か否かこの行事に対しては未だ外様であり見物客の一人に過ぎない。佐世保の比ではない人波で情緒も何もないくらいの混み振りとも聞くが、いずれは…。
そういえば一昨年はさだまさしの父君の初盆で、さだ家の精霊船が話題となっていたが、今年は前年亡くなった噺家・立川談志師匠の精霊船がニュースで取上げられていた。はて、談志師匠は長崎出身だったかと訊ねてみたら東京(小石川)生れとのこと。何故?―と疑問を呟くと、「数十年来の友人が出したそうよ」と相方が教えてくれた。何でも筋金入りの落語好きで、殊に談志師匠を「神様」と崇める程のファンの方だそうである。許可さえ取れればその様な関わりでも精霊流しを営めるのかと、妙に感心してしまった。


posted by 紫乃薇春 at 23:09 | Comment(0) | 日記
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