2005年01月23日

アンサンブルSAKURA 第18回定期演奏会

2005年1月22日(土)
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール

W.A.モーツァルト
交響曲第25番 ト短調 KV183

L.v.ベートーヴェン
序曲「レオノーレ」第2番 ハ長調 Op.72a

A.ドヴォルザーク
交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」

指揮:宇野功芳
管弦楽:アンサンブルSAKURA

オープニングはモーツァルトの25番から。レオノーレが単一楽章の「序曲」なので、それが最初だと勝手に思い込んでいた為、宇野功芳が袖から現れて指揮台に立ち、棒を振り下ろした瞬間にあの激情のスタッカートが突如始まった時には腰を抜かしそうになった。だが、レオノーレは序曲とはいえ15分も16分もかかるボリュームのある曲だし、編成を考えてもモーツァルトよりも大掛かりで、思えばこの曲順が妥当なのかも知れない。
以前SAKURAの演奏を聴きにきた時にも同様の印象を抱いたが、どうも出だしの音が籠って聴こえがちなのは、彼等自身の故なのか、ホールの響きの問題か。この曲の場合、冒頭の弦のユニゾンにホルンが重なるが、そのホルンと弦が今ひとつ不揃いなのが籠りを助長しているのかも知れない。極めて内容的な演奏ならば、多少不揃いでも構わない、というのが私の音楽(演奏)に対するひとつの意見だが、モーツァルトにはそれは通用しないのだろうか。激しい感情を謳った曲は普通、アンサンブルに乱れが生じても音符にのめり込み、共に謳い、泣き、叫んで成功する例が多いが、この25番の場合はとことんまで思いつめても足が乱れてはいけないという気がした。曲が崩れてしまうのだ。かといってその激しさに目を瞑ってただ整然と演奏したのでは、全く意味のないただの古ぼけた曲になってしまう。やはりモーツァルトは難しいのだ。

楽器の入替えなどの小休止を挟んでベートーヴェンの「レオノーレ」第2番。この曲でも休憩後の「新世界」でも演奏ミスは幾つかあったが、モーツァルトと違って曲自体が多少崩れているというか、隙のある造りになっているのでさほど気にならない。モーツァルトでは使用されなかったティンパニが加わるが、SAKURAの要はどうやらこのティンパニらしい。編成は多少変っても殆どの顔ぶれはモーツァルトの時と違わないのに、途端に演奏が引き締まった気がした。
ティンパニが要だと感じたのはこの日が初めてではない。SAKURAを最初に聴いたのは1999年7月、上野の石橋メモリアルホールにてベートーヴェンの2番と7番をやった時だが、この時の7番が殊に凄かった。2番ではホールは違ったがやはり冒頭音が籠って聴こえた。だが7番では気にならなくなり、高揚する音楽の生まれる瞬間を幾度も体感出来た。そして特に地割れが起きるのではないかと思う程のティンパニに圧倒されたのだ。あの時の印象はその後の演奏会でも幾度となく、そしてこの日のこのレオノーレでも蘇ってきた。
曲のラストで何だか妙にアンサンブルが乱れた様に感じたが、やはり「上手く行かなかった」のだそうだ…この日のアンコールの際に宇野功芳自ら語っていた。

そして休憩を挟み、「新世界」。
クラシック余り聴かない人でもこの曲なら知っているという人がいる程ポピュラーな曲だが、私はこれまで生でこの曲を聴いたことがなかった。CDやレコードでも今ひとつ「これ」といった演奏に巡り逢えないでいたので、今日は期待していた。宇野功芳自身、「クラシックのシンフォニーには聴いているだけで楽しくなる曲がふたつある」と挙げた内の一曲なので、何かをやってくれるだろうと。
冒頭の低弦から存在感が漂う。メロディメイカーとしては天才的とも云われたドヴォルザークの魅力的で郷愁を誘うかの様な、そして親しみ易い旋律が一区切りして、次の展開を告げるティンパニの連打、そう、やはりティンパニである。ドヴォルザークのこの曲は随所で曲が伸縮する様に緩急が頻繁に入れ替るが、全合奏の時などティンパニはこれでもかと活躍するのだ。
提示部に入り、上昇してすぐに下降する立体的な旋律が印象に残る第一主題、一転してまたもや郷愁に満ちた第二主題、違和感もなく自然に体が揺すぶられる様に動いてしまう。それだけ惹きつけられてしまっている自分を感じたが、それは、曲の魅力なのか、演奏の魔力なのか。しかし、どの様に効果的な音符が描かれていようとも、それを活かすも殺すも演奏者次第なのだ。宇野功芳とアンサンブルSAKURAの創り出す「音」に、つまりはそれだけ「力」があるということに違いない。
曲は展開部を過ぎて再現部へ。そして圧倒的な立体感に充ちたコーダへと猛進してゆくが、その一瞬の全合奏の余りの薫りと充実振りに、遂に堪え切れずに涙を流してしまった。拭う間もなく第一楽章が終ったが、それで涙腺が壊れてしまったのか。続く第二楽章では短い序奏を経て、イングリッシュホルンが「家路」として名高い名旋律を謳うが、まるで臭い芝居の主役の様に私はそれを聴きながら大泣きしてしまった。両の眼から涙が止まらなくなって困った。遂には膝に抱えたコートのポケットからハンカチを引張り出して口と鼻を覆う破目に。涙は漸く退いたが、鼻水が暫く止まらず、完治していない気管支炎からくる咳とすすり上げる鼻とで少し、聴くのに集中力を欠いた程だった。
私がそんな陳腐な一人芝居を演じている間にも当然演奏は続いた。第二楽章は「家路」のメロディをロンド主題として幾つかのパッセージが盛り込まれるが、後半に入って憂いに充ちた旋律が現れる。それは弦のトレモロを内なる起伏として扇情的にたゆたうが、やがて曲は長調に転じ、小鳥のさえずりの様な木管のフレーズに導かれて全合奏へと高まる。あたかも長く寒い冬の夜が終りを告げ、春の壮大な朝日が昇るかの様な瞬間だが、今回それを感じさせてくれたのがSAKURAと宇野功芳なのだ。
第三楽章は全曲中でもとりわけ土俗的な匂いのするスケルツォ。前半では登場しなかったトライアングルが印象的だが、やや無機的に聴こえてしまったのは奏者が宇野の表現を把握し切れていないからだろうか。トライアングルとは元々そういう楽器だったろうか。
宇野は今回の配布プログラムに掲載されたインタビューの中で「第三楽章の第二トリオには魅力を感じない」と言い捨てていたが、私はこの第二トリオが大好きなのだ。それだけに宇野がここをあっさりと流してしまったのはやや残念だった。
第四楽章は曲自体に問題があるのだが、彼等はその欠点まで明ら様にしてしまった。何というか、「竜頭蛇尾」な曲なのだ。宇野功芳曰く「最初は素晴らしい…それを絶対に再現させなければいけない。最初のテーマを展開して普通のソナタ形式にすれば良いものを、ドヴォルザークはしないで先の3つの楽章の主題回想を考えてしまった。そんな必要は全くないのに、それに神経を使う余りにソナタ形式の構成が崩れてしまった…コーダに行くに従って音楽が薄くなってしまうのが、実に惜しい」演奏のテンションがここに来て一段と高まっただけに、曲の終りの物足りなさが余計に強調される形となったのが皮肉といえば皮肉か。しかしこの曲が愛される一因もそこにあるのだろう。。

アンコールの段になって、宇野功芳は「実は今回は曲を用意していなくて…先程の『レオノーレ』の終りが上手く行かなかったので、その部分だけもう一度」といって「レオノーレ」のコーダを演奏した。アンコールが決まっておらず、本編の演目の部分を再度演奏など、最近では珍しいことだが、これが本当のアンコールの姿ではないか、と喝采を贈った。そういえば、古の時代にはアンコールというと本番でやった曲の殊に評判の良かったものを再演、というのが当り前だったらしい。

ライヴ、コンサートのレヴューとしてはまたもやとりとめがなくなってしまったが、とにかく実演の薫りや温度が消えないうちにとエントリしてみた。かなり思い違いをして書いている部分も多い様な気がするので、宇野功芳、或いはSAKURAの方にもしこれを読まれたら、…是非訂正や教育的指導等をお願いしたい。

この日は会場にて、宇野功芳と大阪フィルの4月公演のチケットの前売りがあった。場所が大阪なので買いそびれたが、両者の組合せは「初」とのこと。大阪フィルといえば御大、故・朝比奈隆が組織し育て上げた名門である。当代にこれほど面白い顔合せがどれ程あるか?というくらいなので、やはり無理をしても行きたくなってきた。
とりあえず、過去のSAKURAとのCDを2枚買って帰った。



posted by 紫乃薇春 at 06:04 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(3) | 音楽
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