2009年09月19日

Breath passage 2009 火の路 at アレイホール/下北沢

久し振りに戻った関東。
午後になり東京の街に出てみると、秋の涼しさが吹きそよいでいた。


Breath passage 2009 火の路

カン=テーファン(Sax)
高橋悠治(P)
さがゆき(Voice)

下北沢・アレイホール

下北沢〜20090919
今年も無事来日したカン=テーファン。この「Breath passage」という副題によるライブ・ツアーは今年で3回目と主催・ビグトリィの大木雄高氏は語っていたが、来日そのものはもっと以前から例年の様に実現している。初めてその独特な演奏に触れたのは2001年頃だろうか。富士の樹海の袂にあるハーモニーヒルという個人の別荘の様な施設で、共演は今宵と同じさがゆきだった。あのハーモニーヒルは果たして今でもあるのだろうか。
樹海ライブは諸々の理由により忘れ得ない記憶を生んだが、今夜は下北沢で行われたライブについて語っておかねばなるまい。
アレイホールという会場の場所を以前行ったことのあるタウンホールと勘違いしていて、直前になるまでわかり易い場所と高を括っていた。前々日くらいになり念の為住所を見直してみたら最寄の改札口が違うらしく、慌てて調べてみたら全然異なる場所だった。
その為今日は少し早めに下北沢に向かい、会場の位置を下調べした。その後空いた時間で軽食を摂り、改めて会場へ。見落としてしまいがちな建物への入口だが、定員4名ながらエレベーターもついている。
中に入るとシンプルな造りだが、多目的スペースとして客の収容数は思いの外広くゆったりしている。席に腰掛けステージ方を見ると、背後ののガラス窓の向こうに樹が2本植わっている。吹き抜けの中庭だろうか。樹が風に揺れそれだけで視覚エフェクトの様な効果を醸し出していた。
夕刻6時を回り、大木雄高の挨拶が入る。そして向かって左手のピアノに高橋悠治、右手のマイク前にさがゆき、中央の雛壇にカン=テーファンが登場。暫くの沈黙の後に演奏が開始された。

カン=テーファンのサックスの出だしの音はしばしば逡巡を纏って聴こえることがある。単純にどう始めるか迷っていると取れないこともないが、寧ろその時のその場の空気、響き等を確かめる意図を感じる。サックスという楽器を旋律を歌う道具としてではなく、機械として備わった機能の極限まで引出し尽くす奏者である為、ステージ毎にどんな響き方をするかが根源的な意味を持つ。それは今夜の三者―さがゆきも高橋悠治も同様だ。しかし音楽的土壌も音の特徴も普段の主な活動の場も全く異なる三人が、いざ始めてみれば違和感も齟齬もなく極めて自然に音が呼吸をし始めるのは驚きだった。こうした創造の場にこれまで幾度となく立会ってはいるが、その度毎に―人の子が一人として同じ顔を持たぬ様に―新たな音楽が生まれ出づる様子を体験している。それはいつも、いつまで経っても新鮮な驚きである。真の奏者にとって、生み出す音は常に血の通った子供に違いない。
構成は休憩を挟んでの2ステージ、前半はまず三者で、二部は始めにカン=テーファンのソロ、すり替る様に高橋悠治とさがゆきのデュオ、カン=テーファンが戻ってトリオで暫くやった後、最後は再びカン=テーファンの独奏で幕。客席の熱い拍手に応える形でアンコールも行われ、カン=テーファンとさがゆきの二人で短く引き締まったパッセージの応酬で締めた。
三人とも恐らく全く普段の自分のままで臨み、歩み寄る瞬間は幾度かあっても迎合とは無縁の己を貫いていた。しかしながらカン=テーファンの存在感は圧倒的だ。最小限の音の動きで共演者も観客もあらん限りに揺さぶられてしまう。樹海で初めて出会った時からその大きさは変らない。この「強さ」はは一体何だろう。カン=テーファンがもたらす息の長い抑揚は地球に生まれた天然の振幅そのものに通じている。
アレイホール〜20090919
明日はこのカン=テーファンとさがゆきにホーンの沖至、詩人の白石かずこを迎え目黒(学芸大学)のアピアでライブが行われる。共演者が変れば音もまた変るのが楽しみだ。
余談として、今夜のライブで会った友人達、さがゆきを初め会う人毎に切った髪を話題にされた。「惜しい人を亡くした」と自虐的ボケで返す私であった。


posted by 紫乃薇春 at 23:20 | Comment(0) | 音楽
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